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VOTOMS

べたなことを言ってしまえば、SFものやヒーローものの主人公とはまずめったに死なない幸運に恵まれている。何の背景もなく、ただ、運がよかったり、キャプテン・スカーレットのようにべったりと「不死身」だったり、ストーリー的にこじつけ的理由があったり。
もちろん、死んだらストーリーが終わってしまうのが主人公の宿命なので、それは一種のトートロジーであり、あたりまえのことではある。

それを、キャプテン・スカーレットとは異なるスタイルの「ベタ」に持ち込んだのが装甲騎兵ボトムズのキリコだ。250億分の一の確率の死なない男。神の後継者。

ガンダムの「ニュータイプ」を厭う人たちがいるように、ボトムズでもキリコの「異能」を物語的に嫌う人たちがいるのは、自分の好きな世界がそういった「べた」に支配されている現実を認めたくないのかもしれない。
面白いのは、ボトムズが泥臭く汗臭い戦争ものであるにもかかわらず、いや、そうであるが故に、そのキリコの異能によるベタは神の存在と直結していることだ。使い捨てのぺらぺら壊れていくATを消耗しながら、そこには神をめぐる人々のどたばたが描かれている。

なんの話かというと、実はようやく「異端」を全部見たのだ。昔近くにあったレンタルショップでは最終巻だけなぜか入荷せず、宙ぶらりんとなっていたもので。評判が結構アレだったのであまのじゃくな自分は期待してみたのだけれど、期待どおりでした。OVAシリーズとして、未完のペールゼンをのぞけば一番良いできだし、一番ボトムズ的だと思う。

テレビシリーズの問題は、キリコという一種の不死者と対号するフィアナがPSであるが故に2年の寿命しかもたない、という点に対してコールドスリープという選択をしたこと。これはもちろん、必要があれば解凍すればよいのだから、将来をみこしたある種「引き」の物語であった。それは、蘇生した際に、1.PSであるフィアナを普通の人間に戻す(でもキリコとは違い不死ではないのでこれも問題の先送りにすぎないけど)、2.PSの寿命をフイアナが全うする、のどちらかの展開がまっている。「異端」はロッチナという狂言まわしを媒介にして後者を選択したわけだ。物語はフィアナのかわりにテイタニアがキリコを追うところで幕を下ろす。

ボトムズは、泥臭い現場に神が隠れている話だ。これまでのシリーズはキリコの異能としての説明だった。異端は、異能故の生き方を示唆する寸前で終わっている。ペールゼンは、もしかすると異能の誕生や存在について触れるのかもしれない。

高橋監督は、もしかするとペールゼンで感触を確かめているのではないだろうか。
なぜなら、この後の話がまだ隠れているからだ。異能としてのキリコの歩む道の先になにがあるのか、という物語。それを世に送り出すタイミングを読んでいるのかな、という気がする。

とりあえず、TVシリーズを見直しながら、ペールゼンを追いかけるとしましょうか。