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鉄人28号 映画 白昼の残月 (タイトル丁寧にしてみた 笑)

みてきましたよ今川節。
あまりにもじんわりとよかったので2回もみてしまったくらいですよ。
時間取れたらまだまだいきたいなあ。
DVDまちどおしいなあ。

戦後復興というのがある種の虚無と躍動がないまぜになった混沌とした時代であるからこそ、今川節もさえわたるのですな、とか。

断片的に。

カーク船長、ピカード艦長(笑)。

それにしても、いろいろとGガンです。
家族の葛藤、父親、兄、偽の兄、巨大なデビル鉄人、破壊と再生(三大理論を飛躍させるときにいっこ落としたらしい)、ラストの博士と所長さんのやりとりはまんまGの最後の首相と父親のやりとりだし。

というより、Gガンが今川節なんだよね。

ムラサメ一家かっこよすぎです。

同潤会アパートのだしかたなんかも、つぼでしょうなあ。

すいません、僕は40年近く歌詞をまちがえていたらしいです。
「ばばばばばーんとはねかえす」だと信じきっていました。映画館で「はねすすむ」に聞こえてサントラ買ってみました。やっぱり「はねすすむ」に聞こえるのですが、歌詞カードみたら「はれつする」でした。
もうなにがなんだかわかりません。

原作者の紹介文に「ねたばこ」の文字はありませんでした。そのかわり、原作者はいつもたばこ持ってました。

結局、鉄人は「負けた日本軍だけど、ほんとうはこんなにすごい技術・兵器をつくっていたんだ」という基本展開がある世代、ある感性に直撃するのかも。宇宙戦艦ヤマトもそうだよなあ、とか思いながら、そうなると超合金とかほしいかも、トカオモッテマタばんだいノオモウツボニ。

もっとも、ヤマトはちょっと時代がさがってくるわけで、鉄人と同時期につぼになるものといえば…黄金バットなんだよなあ… あれは誰かどうにかしないのだろうか…

とりあえず、今川鉄人TVシリーズ、再放送しないかねえ…



いろいろと見ていて気がついたこと。
原作者はアトムについて科学技術はもっと怖いものだ、と否定的なコメントを残しているわけだけれど、それと同様のモノがあった。残月の舞台のうち、「つくりかけの東京タワー」って「三丁目の夕日」にもでていたのだったっけ、と。
もちろんいうまでもなく(と言い切ってしまう)僕は「夕日」は原作も映画も気に入らない。それは、あの牧歌的な能天気さが生理的に受け入れられないからだ。昭和のノスタルジーは常に先の戦争に起因する不安と表裏関係にある。ただ「懐かしい」のではなく、走っていなければ倒れてしまいそうな危うげな未来感を忘れたくて明るくふるまうようなそんな「牧歌」なのだ。

「もう戦後ではない」という言葉自体が、戦争と戦後に魂の底まで支配された観念の結果でしかないように、純然とほのぼのとした昭和回顧は無責任な戦争礼賛と極めて近しいものだと思う。

同じ時代を背景として、ここまで異なる「戦後」が描かれているという点で、これはとても興味深いところだ。みるからにとんがっていた前の総理大臣よりも「美しいナントカ」を標榜する現職のほうがどうかんがえても戦争国家への近道を走っているようにみえるのと一緒だろう。
ノスタルジーとしての「昭和」は「廃墟が美しく見える」魂とも共鳴するものだ。

いわゆる昭和は、常にアメリカとの力関係を意識せざるをえない「戦後」と無縁ではない。そこから「ほのぼの」だけを抽出してみせる行為は戦意高揚のための紙芝居とどう違うというのか。忘れたいから思い出さない、というだけではリアルはみえてこない。歩くために持ち上げた足はいつまでも宙をさまよわせるわけにはいかないのだ。

だから、今川節では「破壊と再生」がキーワードとなる。

それが、僕が「夕日」の世界が生理的に受け入れられないのと同じ根をもつ物に思えてならない。

だから、もういちど鉄人をみてこようか、と思う。時間がとれれば…

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さらに、あちこち見ていておもしろいこと。
ここにもまた「ないぃぶさん」が発見できたこと。それは、「ひげの生えているものはガンダムじゃない」みたいなアレね。残月みて、「動きの少ない画面で退屈」とか「台詞の内容もしゃべり方も陳腐」とか「ストーリーもつまらない」という「ご感想」は斬新でよいですな。びっくりしてしまいました。

はっきりいって、そのあたりのテレビアニメやドラマ、邦画よりも格段によくにつめられた脚本だったとおもうのだが、まあ、最近のテレビなんかみていない人もいるのだろうしそれはいいや。「陳腐」という言葉の意味から考えなきゃなんないかもしれないですしねぇ。

今回の「残月」は「最近はやりのそのへんのアニメ」と比べていかに斬新なものであるか、ということは「昔を知らないとわからない」類のものではないのだけれど。どちらかというと、「最近の雑なつくりのアニメしかしらない」人ほどショックとか場合によってはこのように「拒絶反応」をしめす、というところにこそ「残月の斬新さの本質」があるのだなあ、とお客さんのような感慨にふけってしまいました。
CGつかってぐりぐりうごけば新しいなんていう時代ではないよ、という、メッセージ性を受容できるかどうかは、受け手の感性の問題なのですな。


もっとも、先に書いたような昭和の闇と光、という背景についてだけは共有できる経験や思索がなければまったくちんぷんかんぷんだろうし、そういう立場で見てしまうと娯楽性にとぼしい作品にみえてしまうのも仕方がないとは思う。そういう人は、正しく「昔の白黒時代の鉄人アニメ」を見ていただくのが吉でしょう。そこにならあなたの見たいものは全部ありますからね、と。CGじゃねーけどさ。

なんだ、結局これは「古いものしか認めない」立場からの意見だったということじゃん。そりゃ、今川鉄人は新しすぎて消化不良もおこしましょうに。というか、そういう人が「みたくないほど」斬新だったというだけ(つまり、そこらのCGてんこもりのはではでカタルシスまんがじゃなかったというだけ)であって、「今川節」といっているように作風自体は奇をてらったわけでもなんでもなくまっとうな路線なわけです。

と、実写版鉄人のほうがいい、という感想がある、というのは、人それぞれを実感できる素敵な体験です。なるほど、「感想」とはその人を鏡のように写すのでとてもおもしろいなあ、という「感想」でした。

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原作者の命日に三回目。上映時間の都合から、関東のもうひとつの上映館にいきました。東京またいで反対側というかんじ。
お客さんは僕をいれて十名前後。みんなそこそこの年齢(一組だけ親子づれ)。
なんか、川崎で奇談みたときみたいだ…

ラストのもりあがりでほろりとしたりはあいかわらず。
三回目だとやっばり欲がでてきて、弁護士とかファイアのおじちゃんたち、もっと活躍できればよかったのに、とか尺を無視してわがままを言います(笑)。

そのあと実家で話をしていて、母がまさしく「つくりかけの東京タワー」を生でみていたんだという話に。「戦後の不安はあったけれど、確かに、未来については希望があった時代だった」と。
最近「昭和30年代」が流行なのはその「未来への希望」の雰囲気を現代にコピーしたいのかもしれない。
それが何を意味するのか、ということなんだけれど、たとえば、怪奇大作戦セカンドファイルでみせたように、回顧と悔恨によるフラッシュバックになるのか、単なる「懐かしさと元気な日本」になるのか。

#嵐のメンバーが「日本の歴史を韓国に理解してもらうのによい」とコメントした黄色い映画とか。

なんか、うっとうしいこともふくめて考えなきゃならんみたいだなあ。
少なくとも、そのあたりの事をもう一度考えながら、4/20のフイルムコマプレゼントの日あたりを4回目として見に行こう。

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 武蔵野館のレイトで4回目。
 今日だけの予告編フイルムコマプレゼントがあるとはいえ、劇場はほぼ満員。上映時間もどしてよ、これなら…
 結構、女性だけのグループ客とか、女性一人客とかいたり。かえってアベックがほとんどいなかったり、おっさん多かったり(笑)。武蔵野館でかかってる他の映画との差が顕著でおもしろい。しかも、半券二枚で申し込むリピーター特典の紙に書き込んでいる女性客多数。「まだメンコありますか」とか確認してたし。(メンコは、リピーター特典申込先着270名) めんこ、まだあったようですが。

 4回見たロードショーって最近はなかったなあ、とか思いつつ。

 登場人物の関係をわかった上で見直すと、セリフや動作の細かいところがまたいろいろなところにひっかかってほろりとします… こういうのは「どかーんばしゃーん」が見たい向きにはあわないんだろうけれどね。
 最後の鉄人の目が最初は赤いところなんか、ねえ…

 あの、どこにも超合金売ってないんですが…

 リピーター特典の、あたらないかなあ…

 まよなかの新宿ってほぼ半年ぶりくらいなんだけれどあいかわらず若ものだらけですなあ…

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 結局、世界が静止する日とかみなおしています…