Anything Goes (again) ...

Yahooブログから移りました

根性無しの付和雷同

「水問題」とか「九州での言動」とかから、「アンチアベ」派にとって格好のおもちゃだった松岡大臣の自殺は、実は言論という観点においてもとても興味深い現象をもたらしている。

ちょっと前の時点で、いくつものブログで大臣をこき下ろしていた人たちは今、どうしているのか、という観点でネットサーフィンしてみるとよい。おもしろいから。

すさまじく下品な言葉を大量に並べて「こんな松岡を大臣にするんだから安部はダメ」というシュチョウをしていた奴らは、当然松岡大臣に対してもすさまじく下品な文言を際限なく投げつけていたわけで、それが「自殺」となるや手のひらをかえして「人一人の命が失われた」とかいうビダンにしちゃって、「だから安部は」のくだりを補強するために「大切な松岡大臣の命が」にすりかえている見苦しさ。

たたくならさいごまでたたきなさいよ、無責任な。
自殺によってあんたらの叩いていたいろいろな出来事も闇にほうむられちゃうかもしれないんだよ?
まあ、こんな手合いにとっては実際には大臣が何をしたかなんてどうでもよくて、ブログのネタにさえなればなんでもよいんでしょうけどね。

あまつさえ、安部が松岡大臣を自殺に追い込んだ、みたいなことまでぬけぬけとかけちゃう人までいて、こうなるとちょっと常人とは異なるオツムの持ち主さんなんだとおもうけどさ、あんたらの汚らしいブログに日夜暴言書き散らされていたことも大臣を自殺においつめた原因の一つだろーが。

ブログの記事ひとつで人は死ぬかもしれないよね、くらいの責任の可能性はあたまのすみっこにいれておくのが仁義であり礼儀であり人の道。大勢がみにきてくれて簡単に好きなこと書けるから調子よく書きまくるだけ、というムセキニンオチョーシモノ系ブログは今回の事件でばればれです。

社会派を気取って「苦言」を呈しているようにみえて、実はただの無責任なオチョーシモノでした、なんていうお粗末な思想の浅さはいまのうちに看破しておきましょうね。

言論というもののことをちっとも考えないで、脳内の下品な妄想を言葉にして垂れ流す馬鹿が多い、ということかね。見苦しいなあ。