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言いたいことはわかるけど… (仕分けと不見識)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091125-00000061-jij-soci
なんだが…

>科技予算削減は「不見識」=野依さん、事業仕分け批判
>11月25日12時23分配信 時事通信
> ノーベル化学賞受賞者で理化学研究所理事長の野依良治さんが25日、文部科学省で開かれた政策会議先端科学技術調査会に出席、
>「科学技術は生命線。コストと将来への投資をごっちゃにするのは見識に欠ける」と述べ、科学技術予算に厳しい判断の続く
>「事業仕分け」を批判した。
> 野依さんは「世界水準をしのぐ科学技術なくして我が国の存在はない。小手先の政策では、国は存続しない」と主張。事業仕分け
>「凍結」とされた次世代スーパーコンピューターについても「外国から買って来ればという人がいるが、それはその国への隷属を意味する。
>歴史の法廷に立つ覚悟があって言っているのか」と語気を強めた。 

 なんだかいちいち極端な感じがする。もちろん、「仕分け」が短絡的かつ無思慮に暴走しているという認識は共有できるものだし、今年の科学研究費で二部門停止した中に「若手S」が入っていたりするのを見ると間違っている感は山盛りではある。
 でもね、少なくとも日本の「科学研究」に限定していえばこの「仕分け」作業というのは自業自得という気もするのだ。
 この世界は短期的な業績の量産ができないとポジションを得にくいシステムになってしまった。研究員、教員もどんどん任期制となり、
一定年限(数年)のうちに規定の論文数を出版する等が実現しないと研究どころか仕事がなくなる。その結果、長期的視野と展望を持った科学研究はよほどのことが無い限り実行困難になってきているし、若手はなおのことそういう「論文の出にくい」分野には進まなくなっているという現状がある。いわば、研究期間に対する業績数という意味でCPの低い分野は切られて削減していくわけだ。
 もちろん、それには「研究者の流動性を高める」とか「競争意識を高める」とかいろいろな「理由」があるわけだけれど、結果的に短期決戦的な研究や、よらば大樹の陰的大プロジェクトでないと生きていけなくなってきている感じがある。大学によってはそういった大義名文をかかげつつもその実態はいつでもリストラ可能なセーフティネット(もちろん経営側にとっての)として任期制を導入しているのではないかと思えるところも結構あるほどだ。
 だから「仕分け」というのはそれと同じことをちょっと大きなレベルでやっているだけなんだから、少なくとも研究者側からこういった文句がでるのはちょっと筋違いというか世間知らずなのではないか、と思えてしまう。
 理研だって、ブロジェクトの更新の際には「コストと結果」を勘案して残す研究、切り捨てる研究を決めているのにねえ。

 あげくの果てになんですか「歴史の法廷」って。文脈的にこれは国賊売国奴をつるし上げる法廷にしか読めませんが…本気でこんなこといっちゃうんだろうか。だったら、せめて理研内くらいはいつぞやのこの国みたいに研究に使用する器具や試薬も全部日本製にすべきとかしてみせてくれないと説得力ないし(そんなことしたら研究できなくなると思うけどさ)、そもそもノーベル賞受賞者が国外に頭脳流出した人だったりしたことなんかはもっと「その国への隷属」であり「歴史の法廷モノ」ではないのかとか思ってしまうけどそのへんはどうなのか。
 現実には、実験道具も試薬も海外のものをつかわないと研究はなりたたない。それこそ理研で購入している物品のうちどれだけが輸入品か数えてみればいいのに。


 なんだかいろいろな意味でがっかりなニュースでした…