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馬鹿の互助会    「スペースシャトルの落日」[増補](ちくま文庫)を読む。

 「スペースシャトルの落日」[増補](ちくま文庫)を読む。これ、すごい本です。「落日」とかいいながら、シャトルが技術的には優れていたこと、運用面での政治的社会的判断によって目的通りの運用がかなわなかったこと、つまり「システムの落日」ではなく、「ベンチがあほ」であったこと、が「著者の意図に反して」よくわかるようになっている、という奇書。

 しいていうならば、シャトルの失敗は目標を大きくかかげすぎたこと、だったのかもしれませんが、途中に社会的状況の変化や不運もかさなり、当初の計画どおりにいかなくなった経緯がよくわかります。

 著者は、シャトルは金食い虫、予定どおりにいかない、しかも、二度も大事故をおこしている、だからだめ、システム自体がだめ、もう全否定、という立論をしたくて仕方なく、その「ための議論」をがんばりますが、読解力さえあればそれが単なる素人判断によるお門違いである、ということが「本書だけ」で分かるように出来ています。そういう意味では良心的、というか、たぶん、おばか。見事に「と」な本です。
 著者ががんばる内容の一つ、シャトルの二度の事故、コロンビアとチャレンジャーですが、どちらも「事前にそうなることがわかっていたのにNASAはわざと看過した」という陰謀論めいた言い方をしたがります。でも、コロンビアで脱落した耐熱ブロックが主翼の破損を招いた件についても「主翼部材の経年劣化」が関与しなければそうはならなかったこと、つまりは予見困難な事象であったことがはっきり書かれていますし、チャレンジャーの固体ブースターのOリング破損にいたっては、当日の気候、気温その他の偶発的な出来事の重なりによっておきたことが明言されています。さすがに、固体ブースターの件はそれでは弱いと思ったのか著者はだめおしをしようとしますが…それがこんなしろもの。

 p84。
「毎回、Oリングの吹き抜けは発生していたが、オービターは無事に帰還していた」
 で、それにもかかわらず、
「Oリングの吹き抜けは打ち上げの安全には無関係だ、という、根拠のない判断が主流を占めるようになっていた」
 になってしまう。
 いやいやいやいや、「毎回の打ち上げで無事」であったのならば、それはとりあえず「根拠」でしょうが。牽強付会のためならば非論理的な立論もいとわない、というこうした態度は間違った潔さです。それとも、著者の言語では「根拠」という言葉の意味が日本語とは違うのでしょうか。結果として生じた事故にむすびつかない事実はすべて「根拠のない判断」にされていき、全ての結論は「シャトル計画自体の設計コンセプトが間違っていた」ことに粘着されていきます。これはひどい

 ジャンボが御巣鷹山に落ちた時、あの隔壁の損傷をもって「ジェット旅客機のシステム自体が間違っているからだ」とやらかしたからただの間抜けでしょう。JRの事故をもって「日本の電車システムのコンセプト自体がおかしいからだ」と言ったとしたらただのおつむの弱い人です。でも、シャトルについては「そういう言い方」をしなければ「落日よばわり」できないために著者は懸命にそういう「コンセプトが間違っていた」という全否定クレームをつけつづけます。あげくの果てに「翼があること自体」にまでいちゃもんをつける(笑)。とにかく全否定したいだけなので、無理がたたります。

 コロンビア、チャレンジャーどちらの事故についても「おきた後だから」後だしジャンケン的に言えるようなことです。とても評論家の発言ではありません。もちろん、理系の人間の発想ですらない。

 そういった著者の感性を端的に示すこういうくだりもあります。p93。

「様々な機械を使う中で、我々は「これは便利だ」と感嘆したり「こいつは使えねえ」と憤慨したり、「こんなものを売るのは詐欺だ!」と怒りの声を上げたりする」

 いや、著者の感性が下品である、というコンフェッションは一向にかまいませんが、そこで「我々は」と言われても困ります。こんなの、「使えねえ」とか「詐欺だ!」とか、自分はクレーマー気質の持ち主であります、という松浦氏個人の人となりでしかない。ようは、この人は論理的に考えるタイプではない、ということなわけですが。「使えねえ」とか「詐欺だ」なんていうのは単なる無知なわがままの場合もある。今時、ピントを自分であわせないといけないカメラなんて「使えねえ、詐欺だ」になったりするようなものですからね。自分勝手な人なのだなあ、というのが率直な感想。でもそんな人にまともな評論活動ができますかね?

 チャレンジャーの事故についてのくだりでわかるように、「事故をおこした以上絶対だめ」という発想。ニホンジンが大好きな100%保証の世界です。これ、どこかでもう一人のお間抜けさんがさわいでいた「ここまでは信じても大丈夫リストを科学はつくるべき」発想ときわめて近い。たのむから、お二人とも脳みそ使ってくださいよ、と。ほんと、るいともです。

#だから本書もベタボメだったのでしょうねぇ…やれやれ。

 著者の宇宙ジャーナリストしての限界をしめすのが「次にくるもの」。この時期に増補改訂しているくせに、「はやぶさ」も「あかつき」も「イカロス」も無視。これらが実現しつつある最先端の宇宙開発技術を理解できなかったのでしょうか。で、「軌道エレベーター」。しかも、そのために必要な技術が「カーボンナノチューブ」だ、なんていうのは、クラークのSF小説、「楽園の泉」そのまんま。少しは、宇宙開発の現状をふまえて具体的に「次にくるもの」を考えてみてもよかったのではないですか? 著者の年齢からいってクラーク大好きであろうというのは想像に難くはないけれど、これではあまりにも安易安直すぎ。それとも、「00」がらみの発想ですかぁ?
 このひと、クラークは好きだけど、堀晃は嫌いだ、とかそういうレベルなのではないかと勘ぐりたくなってきます。とりあえず、スリランカを赤道直下まで移動させる技術についてでもお語りになられてはいかがでしょうか(笑)。

 まあ、慶応の理工を院まででておきながら、日経でジャーナリストになった、というその経歴がもしかすると何かをものがたっているのかもしれません。そういう意味ではdankogaiとかいう人と、経歴チックプライド的なにかとしても双生児的つながりがありそうです。
 あとがきにあるように、著者は「撃墜王」で、「見に行くだけでロケットの実験が失敗する」という「呪い」に満ちたおかたのようですから、本書の内容が「こんなもの」であることはある意味で「仕方ない」のでしょうか、とか言いたくなります。堀江貴文さん、ナイスあとがき、というべきか。

P.S.なんだ、著者は「宇宙エレベーター協会」とかの関係者なんですね。これもまた牽強付会の一つにすぎなかったわけですか。見事に読むとこのない本だなあ…