Anything Goes (again) ...

Yahooブログから移りました

ゲド戦記

 最初にことわっておくけれど、僕はSFは好きだけれどル=グウィンは大好きというほどではない。闇の左手と空飛ぶ猫は好き。
 紅の豚あたりまでのジブリ作品は嫌いではない(むしろ好きだ)が、近年のジブリはいろいろと鼻につくので嫌い、そういう立場である。

 で、その上で8.16のデジモンにメモしておいたル=グウィンの反応について少しまとめておこうと思う。

・原作者としては、映画化原作として作品をわたした時点でその内容が換骨奪胎されることもふくめて受け取る金銭に含まれると認識すべき。
 90近い老作家としてはあまりにも態度がナイーブに過ぎる。もっといえば、ジブリの作品をきちんとリサーチしておけば今回のような「でき」になることは充分予測のつくことだ。宮崎駿が「やめるやめる」といいながらちっともやめる気配がない一種の狼少年的な気質の持ち主であることや、宮崎駿の「絵」はすべて白人であるということも含めて。

 もっとも、この原作と映画が別という点についてはル=グウィン本人も認めていると思われる。

ル=グウィンが受け取ったという「宮崎駿の描いたポートタウン」は、鈴木プロデューサーが駿に描かせて「かかなければよかった」と駿が後悔したというものだ。つまり、ことの流れの背後にはどうも鈴木氏の手腕が見え隠れしている。

・今回の出来事の問題点は「ファンとプロ」の意識の相違だと思う。ジブリ側も(特に宮崎駿が)「ゲドの大ファンだ」とアピールし、ル=グウィンも「宮崎アニメがすき」という所に接点ができた。問題は、映画をつくるということは興行収入をみこんだビジネスである、という点だ。
 たぶん、法的にはジブリの態度に問題はない。まあ、ホームパーティでの「good」の一言を変に解釈して吾郎監督がブログで公開したのはまずかったかもしれない(英語できる人に意味をきいとけばよいものを)。それ以外は、作品の出来、内容、すべてジブリジブリの仕事をしただけだ。問題があるならば公開前に作品をル=グウィンがチェックして、だめならクレジットから自分とゲドの名前をおろさせればよかったのだし、彼女はそれをしなかったのだから。

 もっとも、ここが一番問題かもね。けっしてほめてなどいない原作者の表現に対して、監督がネット上で「原作者にほめられた」と吹聴したというのはいけませんよ。その結果、ル=グウィンのところに「映画、ほめたんだって?」みたいな問い合わせがあいついだために焦って自分の立場を表明した、という感じだからなおさら。それって、メディアにたずさわる者としてはやってはいけないことだし、やったもんがちのことだから、やっばり信義の問題ではある。鈴木氏は庭でさかだちしながらこの流れをも読んでいたのだろうかしらん…とかんぐりたくなりますよ。

 もちろん、それ以外の点もふくめてジブリ側の態度は契約としてではなく信義として問題のあるものだろう。でも、そんなのは「うまくやったビジネス」だ。少なくとも、国内の売り上げがこれだけあれば「勝てば」もとい、「勝ったから官軍」でしかない。

 正直にいえば、個人的にはこれがゲド戦記でよかった。見に行かなくてもかまわないし、見て腹をたてる必要もないからだ。いいかえれば、ル=グウィンとゲドのファンの心中は察するにあまりあるけれど、ジブリに目をつけられた時点でお気の毒としかいえない。自分の大好きな作品を今のジブリがアニメにするだなんて、考えたくもないよ…

・ほかにも細かい点ではいろいろある。たとえば、鈴木プロデューサーによると庵野宮崎吾郎のきったコンテを見て「舌を巻いた」というのだけれど、ほんとか?とかね。どうも、鈴木氏の発言はずいぶんといろいろと差し引いて受け取らないとアレな気がするぞ。庵野秀明が舌をまくようなコンテからうまれた映像?へー、みたいな。
 細田監督がハウルの時点で抜けて、ちょうどゲドにぶつけるタイミングでつくったのが「時かけ」なのだから、業界の事情というものはいろいろとありそうだ。もちろん、細田監督のコンテはすごい。かけねなしで。

 まあ、宮崎吾郎監督だって、自分が読んで受け取ったゲドの世界をそのまま映画にした、といっているのだし(別のところで鈴木にいわれてやったけれど、監督なんかやんなきゃよかった、ともいっているけどさ)、あとは原作に対する感性と思い入れの違い、といってしまえばそれまで。ル=グウィンもこういうのが嫌なら次からはちゃんと作品作りに関与するんですね、と。吾郎監督ときちんと内容をうちあわせなかった原作者の怠慢といってしまえばそれでおしまい。J.K.ローリング氏があれだけ口をはさむからこそ、ハリーポッターシリーズは原作の印象を崩さずに映画化できているのだし。というか、ハリーポッターに関して言えば映画のほうがそぎおとされていて原作よりもおもしろいくらいだ。

 あと、ル=グウィンが日本語わからなくてよかったかもね。少なくとも、声のトーンはわかるだろうけれど声優としての上手下手までは聞き取れないだろうから。近年のジブリ作品の「ひどさ」の半分がこの点だからそこはうまくごまかせたのかもしれない。

 でもなあ。さらにいってしまえばル=グウィンのおともだちのマッキンタイアだって僕にいわせれば似たようなことをやっている。スタートレックの映画版ノベライズをこれでもかとばかりの「マッキンタイア節」でそめあげたという過去があるわけで。まあ、ノベライズは気に入らなければ「読まなければいい」のだからたいした問題ではない。

 そう、簡単なはなしだ。だからゲド戦記も「見なければいい」のだ。それがこれだけ売り上げている、ということは、原作者の能力すら超えたところにジブリの大人のロジックが巧妙に炸裂し、功を奏したということだ。それはそれでよし。資本主義消費社会だしね。このル=グウィンの文句だって映画の売り上げをのばす役にはたつだろう。そこまで考えて宮崎親子を放置していたのだとすれば鈴木プロデューサーのGJ!てところだな。