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Yahooブログから移りました

楽天とWikiと信用文化

まあ、信義の問題というならばたしかに問題だし、会社としての信頼にかかわるから謝罪もするだろう。
会社からアクセスしていた、というのも、就業規則によっては問題だというのはわかる。

でも、Wikiって「そういうもの」だよねって話。
以前書いた「こみゅにけーしょん」の話とも通じるものがあるのだけれど、日本人は「自己責任」ということが苦手だからつるみたがる、という悪しき習性がある。

Wikiは「みんなでつくる」がポリシーだ。だから、記載内容について、それぞれが自分の知識をもちよって完成させていく共同作業。それは、mixi的に日本人の肌にあうのかもしれないけれど、mixi的に、社会問題を潜在もしている。

悪意がなくたって、項目によってはそれぞれがもちよる「知識」内容の整合性がつかなくてもめるわけで、でも、その「もめる」こと自体がWiki的でもあるわけで、ぶっちゃけたこといえば、その目的はあくまでも「構築過程の参加型やりとり」にあるのであって最終生成物は余禄であるとみなきゃなんないのかもしれない。

もちよった「自分の情報」が正しいかどうかは多数の読者に判定され、場合によっては「かきかえられる」。この流れがどれくらい鬱陶しいかはやってみればわかる。
自分が更新した情報が「あきらかに間違っている」内容に書き換えられ、なおしておいても、また同じように「修正」されたりする。その人は「自分は正しい」という信念をもって間違っているんだろうけれど、いい迷惑、みたいな感じ。

個人的にはWikiは最大公約数的な情報として考えているけれど、一般的にはどうなんだろう。

会社にとって不利益なことは消してしまう、という行為、とすればそれは確かに信義的に問題だけれど、「そんな事実はないはず」という信念で修正したのだとすればそれはWiki的にはおっけいだろうし、実際にはこの二つを区別することは不可能だ。今回は、「楽天はこんな会社」という先行した印象があったからこそ問題になったわけで、その時点で楽天の負けといえば負け。

でも、Wikiみたいなものには「正しさの担保」がないから最大公約数的な間違いは大手を振ってまかりとおりうるんだという危険性はきちんと認識しておかないとまずいことになる。

誰もが「正しい知識の共有」なんてことを実行できるとは限らない。信念もって「正しいはず」とばかりに間違った記事をかきまくる奴だっているし、ちょっと賢い奴がわざと「間違った情報」を書いたりもするだろうし。

ネット社会は「そういうものだ」と思っておかないといけません。
ここの部分が本当の意味での「Web2.0」だとおもうんですけどね。
ビジネス書売り抜けて2.0で小金かせいでないでさ、「真の意味での社会における新しいネットのあり方」について誰か本をださないもんかねえ…