Anything Goes (again) ...

Yahooブログから移りました

そもそも「善意」ってなにさ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060928-00000032-zdn_n-sci

あいもからわずSNSは、って話。
こういうときにmixiみたいなものをつかうとこうなるということくらい読めないとweb2.0時代は生きていけません。輸血チェーンメイルのころから、何度も繰り返されたこと。いわば、「当然の結果」だし、「こういう結果にならないと考えた人間がいるならそいつの無知こそが罪」ですな。まあ、そういうことを「考えもしませんでした」というさらに低レベルなシチュエーションがたぶん現実なんだろうけれど。

最低限のリテラシを欠いた人間がいるから、mixiで広く情報をつのってしまったりするわけで、単純な結果への展開もよめずに傍若無人なことをする以上、きつい言い方だけれど「そもそもそこに善意なんかなかった」ということです。
あったのは、無責任な付和雷同。それともなんですか?winnyでファイル展開しながら情報集めたわけじゃないから「善意」なの? はっきりいってそんなのは同質の問題です。

いつもいうことだけれど、そもそもmixi自体が「チェーン日記をつくるためのもの」なのであって、「トモダチつくらないとアカウント剥奪」という半強制的なチェーンを身上とする以上、今回の騒動はまさに「mixiの存在意義と趣旨にのっとった正しいあり方」にすぎませんがな。

「情報の“チェーン化”を問題視した一部のユーザーは、チェーン日記を憂うコミュニティーを作成」ってのもなんだかなあ。そのコミュニティ自体が小規模ながら新たなチェーン化だということにすらおつむがまわらないのかも。

mixiの善意が集まった結果、善意が善意であり続けることができなくなったことがご理解いただけますでしょうか。こんな悲しいことがあるでしょうか」
とか、
「(日記の削除をお願いしていることについて)多くの善意に対して、大変申し訳なく思います」
とかいうのも、あまりにもナイーブ、つまり無知無責任で背筋が寒くなる。

情報のチェーンシステムを使ったら、的確にチェーンされた、というだけのことを「悲しい」と言い放つのはなにかが間違っている。「mixiの善意」は、どこまでいっても「mixiの善意」なのであり、それは被害者家族が蒙っている迷惑もふくめて「mixiの善意」なのだ、ということでしかない。

mixiの善意」を求めたら、たくさんの「mixiの善意」があつまりました、というだけのこと。もしかすると、ちょっとだけ「集まりすぎた」のかもしれないけれど、それは単に規模の問題であって質の問題ではない。「mixiの善意」が何かほかのものに変わったのではなく、「よりわかりやすくなったmixiの善意」と化しただけだ。

なんだか、扱いきれない長刀をふりまわして、ちょっとひげそるつもりだったが周りの人間もきっちゃったよ、と文句いっているような滑稽さを感じます。刀なんだからそれは人をきるためのもんでしょ、と傍から見ていると思うんですけれどね、と。