Anything Goes (again) ...

Yahooブログから移りました

量が質に転換する瞬間

 たとえば、iPadはもちろん「大きなiPod touch」であろうけれど、ただ「大きい」というその一点において質的にまったく異質なクオリティを発揮するように、量の増大がそのまま質の転換に至ることがままある。それは、ポジティブに働く時もあれば、ネガティブな転換を起こすこともある。
 「我々凡人は本を読みすぎるとアホになる」というのは中島らもの言葉だ。「それは「本に呑まれてしまう」からである」と。また「それは魂を活性化するための「手段」であったものが「目的」にすりかわる瞬間でもある」と。

 速読して大量に読めばいいというものではない、いや、大量に速読すればするほど「ヤバイ」ことになる。読書が目的から手段にすりかわると、「ための議論中毒」を起こすようだ。これは一種の自家中毒。いわば声の大きな馬鹿。

 大事なことは、たとえばこのらもの言葉は「らもが死んだから」重いのではない、ということ。彼が生きていたときから彼の言葉は軽妙で、かつ重かった。まだ死んでいないからといって、軽はずみなことばかり書き散らしていてもかまわないけど、そういうのって死んだとしてもやっばり軽はずみなままでしょうね、と。

 と、文庫版のかまぼこ新聞よみなおしながら思ったりしたわけです。

 iPadは通関中。間違いでDockが届いてしまい、これも原価で購入することになりました。結果オーライかな。どうせそのうち買うつもりでいたし。