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シービュー号(あ、原子力潜水艦だ)・科学者の立場

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 EEで、ブラモ一個買うともう一個40%offにしてやんよ、といわれたのでもろもろと買ったうちのひとつ。1:350のシービュー号(なつかしや)。リメイクされてもいいシリーズだとおもうんですが…ここはひとつpitofあたりが映画化しませんか?
いっしょに買ったのがB型とBOP、あとこないだのクリッパー。B型はこのサイズの模型持っていないのでそのうちつくりませう。BOPは塗装がちょっとなあ。
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はっ!「翻訳していたこと」自体が嘘じゃんか!
つまり、4/1のつぶったあは今年も健在だったということ。なにこのバラドックス。
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納豆も牛乳も地元のものなら手に入ることを発見。
できれば茨城の納豆とか、かえるなら買いたいけどなあ。アンテナショッブいけばあるかな?
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http://gajetdaisuke.com/archives/11331_113940.php
ぼちぼちと。粂さんところ以外にもバランスのとれた意見が出始めてきた。
「震災エンターテインメント」とはいいえて妙。
そう考えると「東スポジャーナリズム」の先鋒を走る上杉隆がサービス過剰に陥ったのも当然のなりゆき、ということね。もっとも、「検察の闇」相手だと「電車は怖いからタクシーで移動してます」とかのパフォーマンスもできるけど(あほだよね。本当に狙われているならタクシーだって同じくらい危険なはず。オイラこんなにあぶない橋をわたっているんですよアピールでしかありません)、相手が物理法則だと空回りしかできなかった、と。ま、非日常を踊るお祭り感覚としては「そのてーど」で十分だった訳ですが。

 たとえば某つぶやき。「体内に蓄積したら何年後に放射能で蝕まれますってくらいにハッキリ言われるほうが国民も普通の主婦の私でも納得します。例えばプルトニウムのパーセンテージで半分以外の蓄積量は骨と肝臓を破壊しますとかのがわかりやすいし、子供達を守る姿勢もできるはず」。
これ、一見まっとうですが実は「前提としてプルトニウムはとてつもなく危険」という思い込みがある。実際問題、そんな「パーセンテージでしめせるような量」のブルトニウムは検出されてすらいないので、現時点である意味では十分に「はっきりいっている」わけです。ただちに影響はない、という表現が微妙なことはたしかですが。結局、なんらかの危険を明示しない限り納得しないし、隠蔽だごまかしだ、と騒ぎ続ける。まさしく震災エンターテインメントです。
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 さて、この「ただちに健康に影響はない」の話です。

 この言い方、「科学」としてはまあ、仕方がないような感じ、ではあります。とくに戦後の「科学」の見方からだと、科学自体は白でも黒でもなく、「客観的に」情報提供をしていくもの、という考え方があるからです。放射線にしてもプルトニウムにしても、「最悪のケース」を想定すると絶対に安全ですよ、とはいえません。だからといって、どう考えても安全水準にかすりもしない程度の現状を手放しで肯定もできないわけでこのような表現になる。「嘘はついていない」「間違ったことは言っていない」わけです。
 ここでは科学論に深入りはしません。科学は客観的、科学は中立、というテーゼは、とてもわかりやすいものです。
 でも、「わかりやすいもの」は疑わしいもの、です。
 科学者が時代や価値から超人のように独立しているわけではないのですから、より現実的な物言いをするならぱ科学は客観的でありたい、科学は中立であるべし、とでもいう宗教のようなものです。これが従来の科学の見方。
 でも、科学研究も結局は個人の営為です。チームで研究を行い、学会内でのピアレビューを経て共同作業的プロタクツを生成するとしても、それでも現場での活動も、科学者個人のモチベーションも集団のものではなく、科学者個人のものです。
 今回の震災、原発事故の流れで、一人一人が自分にできることをしましょう、という風潮ができました。少なくとも、科学教育を受けたものは、特にそれが専門的なものであるならばなおさら、マスコミや自称「ジャーナリスト」が声高に主張する「危険性」が、実際にはどれほどのものなのか、を説明する、というのはまさに「できること」のひとつです。ただ、それが「ただちに」に代表されるように、「科学者は客観的であるべし」みたいなところに立脚しているとなんだかんだいって「危険が0というわけではないから」みたいな物言いに終始して、結局、煽りジャーナリズムに「加担」するかたちになる。
 ここ、重要です。本人は「客観的・中立」であろうとする、まさにそれが故に恐怖煽りの後押しをすることになってしまっているわけです。それは、すでにもう客観的でも中立でもありません。科学者は社会不適合者が多いからコミュニケーション力に問題あるんだよ、だから仕方ないんだよ、という擁護(皮肉?)すら可能かもしれません、が、ここはけっして擁護してはいけない部分です。
 それが徒な不安にすぎないことを「わかって」いて、なおそれに加担するというのは客観的ではないどころか、煽り似非ジャーナリズムへの迎合です。

 いままでの科学に欠けているもの、それは、科学研究者個人の存在です。科学者は、自分の意志と興味で研究をしているのだから、社会に対してある種の責任が発生していると知るべきです。高等遊民が遊びと趣味で研究していた時代とは違って、社会の資金というパイを応分に分け合う形で研究しているのが現在の科学のあり方です。だとすると、客観性をよそおった曖昧さは社会に悪を還元するだけです。
 たとえ、論理的に可能性を検討すると「直ちに影響があるとはいえない」としか言えないのだとしても、その局面においてはさらに科学者個人の見解として「自分はこう捉えている」というビジョンを示すべきですし、そのビジョンにはもちろん(研究者としてのセンスの産物なのですから)研究者生命を賭して発言すべきです。
 現実問題として危険ではないものは危険ではありませんし、安全でないものは安全ではありません。境界を曖昧にしておけば間違いない、という逃げ方はただの無責任です。残念なことに、「発言」にそこまでの責任をもたせられる科学者は多くないと思います。「間違ったことをいわない」ように予防線をはるのに慣れすぎている、ということと、確かに、まともなコミュニケーション力に欠ける人が多いから。でも、社会の一部として科学研究が存在する以上、その責任をもったアピールスキルは科学研究者の個人個人のスキルとして本来必須なもののはずです。論文を何十本書こうが学会で何百回発表しようが、そういう時に役に立たないのであれば社会にとっての科学者という存在はただの穀潰しでしかありません。自動的に「二番じゃだめなんですかか?」と言われてしまう訳です。

 それは、本当は科学者にだけ求められる責任意識ではないのだと思います。現在、入手可能な情報を読み解き、そこから自分なりの判断を下すこと。これは教養であり、リテラシーです。そのための教育、勉強です。いくら楽しいからといって、震災を非日常扱いしてアブナイアブナイと喜んでいるようでは頭の中は未開なままです。

考えましょうよ。

おまけ。さらに別のつぶやきから。
「テニスクラブのある人は「高速増殖炉は燃やした以上のプルトニウムを生産するので、無限にプルトニウムが出来て炉が無限に暴走する危険があるのでは?」とか言ってた。」
わはは、まさしく栗まんじゅう問題ですな。
 熱力学の常識しらないとこういうのにひっかかって、ついでにオークションとかで永久機関とか買っちゃうんでしょうねえ。


さらにおまけ。某つぶやきから。
「おいおい!!テレビでプルトニウムは体に入っても害がないなんてバカな事言ってる奴がいるぞ!!いくら大衆が無知だからってそれは言い過ぎだろう!?一番怖いものだから地獄の神プルートーの名がついてるんだぞ。テレビの言う事しか受け入れない人は信じちゃうよ!!」
うーん…
すばらしすぎてつっこみしかいれられない。こういうのが大衆の典型であるとすれば、
まさにこれこそが「大衆が無知」である証左となりましょう。勉強、おきらいなんですね、としか。
プルトニウム自体の化学的毒性は都市伝説レベルで根拠なし
プルトニウムの「害」というのはその発するα線。ただし、半減期が長い上、α線だから
 貫通力もほとんどない。体内でとりこまれることも少ない。
 一部の組織に取り込まれてしまった場合に、そこでの被曝による害が想定される。
で、「一番怖いものだから」ってねえ… そもそも地獄の神じゃなくてたかだか準惑星ですが。
「テレビの言う事しか受け入れない」奴はいつまでもこうやってプルトニウム怖い音頭を踊り続ける
のでしょうか。
こういうつぶやきを全世界に向けて行う、という事自体が悪質なデマゴーグの煽り行為だということに気がつきましょうよね、ぼくちゃん、て感じ。まあ、確かに楽しそうではあります。


こんなつぶやきも。
「ウチ(IWJ)の佐々木君が、東電の深夜の会見で、プルトニウムの質問をしたら、聞こえよがしに「プルトニウムのことばっかり聞きやがって」と舌打ちした記者がいましたからね」
いや、確かに「舌打ち」はお下品だからしないほうがいいです。
でもね、今聞くべき事はプルトニウムじゃねーだろ、おい、他に山ほど聞くべき事あるじたろうが、て話。
限られた会見時間なのに、ぷるぶるした質問しかしないような奴らは、ちゃんとした質問をさせないようによその記者を妨害しているのかもしれませんね。いわば、「東電にとって都合の悪い事を質問させないようにするためにプルトニウムの質問ばかりしている御用記者ども」と(嘲笑)。
会見の場にいる人数のうち、一体何パーセントが「報道」というものを考えているのか不安になります。こわいこわい、と煽ってみたり。

ま、一言でいえば、ggrks または、考えろマクガイバー
のうみそはつかってなんぼです。

とはいえ、
「「放射線量」ってひと括りに発表したり報道したりしてるけど、放射線を出してるのがヨウ素なのかセシウムなのかプルトニウムなのかで危険性とその持続性がぜんぜん違うと思うんだけど。それってきちんと報道されてるの?」
みたいなつぶやきを見ると、やっばり小学校から高校までの教育は重要だな、と思わざるをえません。
なにから出ようがα線α線。線源の核種によってα線の性質や危険性はかわりません。
半減期には影響するけれど、どちらにせよ生体に影響があるのはそこに出ている放射線なのだから、
線量が一番大事。もっといってしまえばその中の核種の分布の分析はもっと時間がかかるし、今回のプルトニウム祭りのように、「目立つ名前」があると針小棒大にさわぐ手合いがでてきて報道が混乱するということもあります。上の会見現場のはなしのように。

(m.a)