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R100(レイトとはいえがらがらでしたが)

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 松本監督は「監督業のノウハウ」をあえて学ばずに「観客の立場」から映画をつくろうという手探りを続けている感じ。で、手がけてきた四作がそれぞれ一作ごとに「それなりの映画スタイル」に近づきつつある、という。前作のさや侍以上にフォーマットとしては「映画」してました。
 大爆笑しながら見て、腹筋が痛くなったので、そういう意味ではたぶん成功作。でも、最初からなにがしかの枠組みを目にはめて映画館の座席に座ると「?」でおわっちゃうんだろうなあ。
 映像も、モノトーンに近いレトロな昭和テイストで、画面の美しさもなかなかのものです。その美しい画面の中で唐突に展開する女王様たち、というのもある意味ではSMの「お約束」。このあたりはたぶん監督にとっての「サラリーマンてこういうものでしょ?」という微妙に悪意をおびたまなざしを感じたり。あれ、「SMの女王様がとびこんでくるシチュエーション」を含めて「サラリーマンの日常」として表現されています。理不尽な上司や、退屈な日常や、クレーマーな顧客や、そういった「サラリーマン的な日常」の一断面が女王様のとびこみ。そして、それがあくまでも「日常」なのでどの目撃者もなんとなくスルーしている。そういうアンチサラリーマンなテイストを主役の大森南朋は完璧に演じきってみせる訳です。
 さらに、映倫審査の「R」という理不尽な制約に対するアンチテーゼ。「時代のリアル」としての「ゆれた?きのせいか…」とかもぎりぎりのラインだろうなあ。あと、「それが最後だとばかりに好き勝手なオナニー映画を撮る巨匠」というあたりには(タイミング的に偶然なのでしょうけれど)露骨に「風立ちぬ」が重なって見えたり。
 そもそも、「100歳未満お断り」というR100というフレーズがアイデアの発端であったのならば、それを冠した作品の出来は微妙な難しさを伴ってしまう事は自明でした。逆に、このメタ作品のところには世の中の「映画通」とか「ヒョーロンカキドリ」どもの「たいして面白くもないものを小難しく解釈して「スサマジカッタ」で誤摩化す」、といった誠実さや知性のかけらもない「評」を小馬鹿にしてみせるための小道具、という意図がみえかくれ。

 SM映画として、一本通してもサラリーマンが日常から逸脱する為に求めている非日常にとりこまれ、それもがさらに重層化して日常となって逃げられない、的なまとまりできれいにしめられたでしょうに、「あえて」そこに構造的な不和を持ち込んでとんでもなくしていくわけです。銃をサンキュー!と受け取り、いきなり英語でタンカをきる(笑)。これはこれで、昭和テイストな戦闘もの抗争ものとしてすすめればまた面白い逸品になっただろうに、さらにそれをもよしとせずにもう一つひねる。
 ラストのオチはさや侍にひきつづき監督の「親」としての側面がにじみでちゃった、という感じもしますが。ブルースウィリスかよ、と。

 監督の日頃のネタをしっちゃっていると、「これはアレだな」とかわかってしまうのもちょっともったいない。「つっこみとタイキックの入らないガキの使いか」と思えてみてしまうと、引き出しがそろそろ空になりかけているのかな?と不安になります。やはり映画としてつくるのであれば、リサイクルは最小限にしておいてほしいな、と視聴者的な贅沢を言ってみたり。

 リンゼイ・ヘイワードって2m超えの女子レスラーだったのか…SMネタにからめるとかよくやったなあ。

 さて、こうなるとここからたぶん刺激をうけているはずの板尾監督の次回作(いつになるのか)も楽しみ。たぶん、板尾監督は松本監督よりもシンプルな世界観で映画をつくるというスタイル(いまのところ)だから、三作目で大化けするかもなあ、と。

 あ、あとどうしても気になって仕方なかった、という引っかかってしまったのが大学病院の看板です。国立大学が独法化されたのは2004年から。なので、全体的な映像のテイストとのバランスがどうしてもとれないのですよねえ。