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キャリー(よりキングに近く)

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 どうしてもデ・バルマ版が深層にしみこんで落ちない人が多すぎるせいで、不当に評価が低い気がするけれど、キングの原作の空気をよりきっちりと再現しているのは今作の方だと思う。と、いうか、昔の映画はどうしても男性目線による簡単過ぎる物語構造のせいで、本来のサイコホラー的側面が薄まっていたわけで。
 それに、クロエがスペイセクに対して「かわいすぎる」とか「女性的過ぎる」とかもなんというか理不尽な不満でしょう。いじめられっこはみんな「かわいくない子」でなくてはいけない、の?かわいいこはいじめられないとでも?だとするとその視線こそが、、と、まあそれはそれとして。

 物語の中心にはキリスト教原理主義者としての母親がいて、その母親に愛され、束縛され、そして憎まれている娘としてのキャリーが対置されます。女性性の持つ性的な側面を完全に否定し、他人に対する憎悪の感情を抱く時には自らを自傷により罰する徹底した母親。思春期を迎えて自分の生活を周囲とうまくおりあわせて幸せになりたいと願う娘。キャリーをめぐるいじめっこ集団の悪のりと、そこからすら孤立してさらにエスカレートしていく首謀者。

 ボタンの掛け違いが生みだす人間関係のドラマの中心に、超自然的な力がほうりこまれた時、その関係は劇的な崩壊を迎える、という基本的な要素はそのまま展開していくし、ストーリーも変にいじらずにもとの物語のままにすすみます。デ・パルマ版に対する深いリスペクトとお約束もきっちりはたします。それでいて単なる超能力リベンジでおわらない説得力はたぶん監督のセンスのたまものでしょう。誤解を恐れずに言うならば、デ・パルマ版は男性視点からのサスペンスでした。なので、想像される、イメージされる「怖さ」と、それをもたらすビジュアル的展開にポイントがありました。キンバリー版はそこからさらに内面描写を細部にいきわたらせることで異なる(たぶん原作的な)「怖さ」をつくりだしました。だから、観客にとっての恐怖はその中心に「母親」がいるのです。キャリーでもいじめっこでもなく。

 某雑誌のコメント欄は間違っていた気配だけど、キンバリー・ピアースは女性です。キンバリー監督、宗教と母娘関係、というものをきっちりと表現しきってみせたのはたいしたものです。もっとも、それをいうと原作者のキングの描写自体が深かったから、ということでもあるわけだけれど。このまま、ファイアスターターとかもリメイクされないものかしら。

 で、本編に関係ないけどこれでクロエは武器を使いこなし体術もすぐれているのにさらにサイコキネシスまで習得してしまうとか最強すきぎよなあ、とかたわいもないことを考えつつ、キックアス2を楽しみにする、と。