Anything Goes (again) ...

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トゥモローランド(アデルに次いでエッフェル塔の魅力が)

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「王道のディズニー」の皮をかぶった強烈な皮肉。

 まず、昭和の未来都市、大阪万博、といった単語に心震える人は高い確率でやられます。昔の少年漫画雑誌に見開きでてでていた「21世紀の未来都市」。
 だとすると、本当の21世紀の今、「いまの現実と違うじゃないか」、「映像作品の中にはあるのに」、と。
 子供の頃の絵本で見た「アメリカのディズニーランド」への憧れとかそういった記憶が呼び覚まされ、そこから「現実」との対比でリアルな21世紀に突き落とされるわけです。どうして「明るくてステキな未来」だったはずの「今」はこうなのか。それを、ド直球でストーリーにするとこうなる、という物語。
 なので物語の半分は「明るい未来への憧憬」残りの半分は「それを実現できなかった人類の限界への諦観」で構成されます。たぶん、このあたりのバランスが受容できない人はけっこういそう。だって、それって明るくないし、楽しくもない話だから。ハッピーなディズニーの夢の王国をみたかった人たち、残念でした、ということになります。予告編のミスリードのせいで、明るい未来を体現したリアルディズニーランドで幸せになるオハナシ、を期待していった人たち、残念でした…。
 もちろん、「そんなことはいいから」ガジェットをみて楽しむのもあり、です。ケープカナベラルの39A発射台、SFグッズ屋にならんでいる1/1カーボンフリーズソロ、後ろに大量にならぶアイアンジャイアント(これは監督のお遊び)、初代の五人、テスラ、エジソン、ヴェルヌ、ウェルズ、エッフェル。テスラとエジソンのわだかまり的エピソード、エッフェル塔を起動するガジェットが「エジソンの発明したシリンダーレコード」、エッフェル塔が二つに割れて中からせりあがる多段式ロケット(これでこの塔にはレストランで食事以外の魅力が)、タキオン粒子による時間干渉!、ささやかなタイムパラドックス、etc、etc。
 「未来予測の結果」を伝えることで危機回避をしようとすればするほど、危機を呼び込んでしまうという悪循環。「なぜだと思う? 彼らは死にたかったからだ!」と言い切るまでには大量の諦めがあっただろうし、いまの日本で「可能性はゼロではないから危険」とか騒ぐデマゴーグ屋達の悪質さにも通じる「合理的な人間であれば可能性があるからといって恐れたりはしない。しかし、現実には恐怖のあまりにさらなる危機を起こしてしまう」という人間観。現代人がデマや低レベルなメディアに振り回されることへの強烈な皮肉がハンマーで後頭部殴られるように炸裂します。

 この映画、いわゆるハリウッド的な「おやくそく」を排しています。親子の葛藤とドラマなんかほとんどないし、こまっしゃくれた弟がでしゃばって危機に陥ったりもしません(それどころか主人公の弟はものすごく頭脳明晰で物分りがいい)。ロボットプロレスみたいな派手なシーンもなくはないけど最小限におさえられ、主役級のアンドロイドは自爆しても蘇りません。これ、監督が相当がんばったのではないだろうか。スポンサーからの口出しでこのあたりをダメなものにされなかったのは奇跡のような気がします。その結果、このディズニー映画はディズニーでありながら、マーベルともシンデレラとも異なる、いわゆるハリウッドお作法から少し離れた「おとぎの国と現実」を描いたものになりました。まさに「ディズニー」という単語に昔感じていた高揚と謎そのもの、です。
 ただその分、カタルシスは得難いでしょう。前宣伝に比べると、強烈に観客を選ぶ映画です。
 一言でいうなら、SF黄金期の読者ならマスト、です。