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マッド・マックス 怒りのデスロード (ばーちゃんたちかっこいい!)

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 冒頭からテンショッンあがりっぱなしの展開であることは間違いないです。いきなり双頭のとかげを丸齧りするし。
ポイントは「マックスはトラウマ背負っているせいで常に世界から一歩引いている」というところでしょう。もちろん、戦闘力が高いのはあいかわらずだし、今回は血液型がO型ハイオク(笑)であるということも表立って「活用」されましたが。
 核戦争からたかだか50年弱でこんなことになるかいな、というところはつっこみたいけれど意味がないので無視。「そういうもの」としてみるわけです。オーストラリアの撮影予定地が雨で花園化してしまったせいでアフリカロケ、というのも伝説が追加されたくらいの感じかな。砂嵐のシーンとかなかなかの迫力です。
 この作品のキーワードは閉じた世界の絶望と、閉じた内側から見つかる希望、です。「外の希望」を探そうとするメンバーにマックスが「あえて戻る」選択をさせることからわかるように。いいかえれば「希望がほしければつくるしかない」わけです。外へ外へ、とすすんでいくと際限なく探し続け、そして死ぬしかない。数学的帰納法では求める答えは得られないよ、と。
 もうひとつ、登場人物はみんな頭おかしいのですが、悪人がいません。イモータンジョーですら、家族思いのいい人でもあるのです。なので、物語は「縛り付ける夫から逃げ出す妻」の物語と、「厳しい社会の中で男達と戦うことで生活してきた鉄馬の女性達」の流れです。マックスは、「たまたまた通りすがった旅人」です(まあ、愛車インターセプターをさんざんな目にあわされた、ということと、死別した家族達からの解放、というテーマとが重なりますが)。

 結局、派手でばかなことを山ほどやっているけれど、この作品の主題はヒューマニティです。荒廃した末世の世界でそれぞれの立場に応じた人間性の求め方がぶつかりあう。「悪人がいない」といいましたが、人食いの人も含めて「生きるという人間性」、そして「社会と家族」へのビジョンをぶつけあっているのです。さらにいえば、この世界の中高年は「昔を知っている」。だから、ジョーは「健康な子孫」が欲しいし、そのためには力のかぎりをつかって女性を囲います。囲われた女性は自立をめざして脱走するけれど、脱走した先には「なにもない」のです。ジョーの下で保障されていた高度に衛生的で文化的な(つまり荒廃前の文化)もなにもない。ジョー自身も何が大切かわかっているので女性達を取り返すためには自分自らが現場に出るし、女性と子供の死には涙を流します。

 確かに、ばかなことばっかりやっている派手でヒャッハーな一本だけれど、マックスの抱えてきたトラウマ(そのおかげでフュリオサ達は空疎な「希望」を追うのをやめることができます)をきっかけに人々が自分の居場所と立ち位置を強烈に自覚しなおす物語です。人間性を取り戻す物語、といってもいい。こんなヒューマンでまっすぐな作品、そうそう見ることはできません。
 とてつもなくおばかで、ヒューマンで濃密な一本。次あたりはマックスの物語にして欲しいな、と思いつつ、堪能させていただきました。