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雑談的つぶやき

デジタル大辞泉によると、

>ぶん‐みゃく【文脈】
>
>1 文章の流れの中にある意味内容のつながりぐあい。多くは、文と文の論理的関係、語と語の意味的関連の中にある。
>文章の筋道。文の脈絡。コンテクスト。「―で語の意味も変わる」「―をたどる」

いや、頭にひっかかっているのは某所・小飼弾氏の(http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51400110.html)「言葉遣いのみならず文脈まで現代語訳しなおした一冊」という表現。
「文脈」を「現代語訳」とは一体どういうことなのか。「意味内容のつながりぐあい」や「文と文の論理的関係」が渋沢栄一の時代と今の現代文では「訳」さなければならないほど違う、という発想なんですか?
でも、普通に考えて「意味内容のつながりぐあい」や「文と文の論理的関係」を訳出の段階で変えてしまうとそれは「別の文章」になってしまうような…意訳と誤訳とかの類いになりやしませんか、それ?

#ちなみに訳者の方は「読みやすくなった」と表現してはいるけれど「文脈を訳した」とは言ってないようなんですが…
#「全国書店ネットワーク」での説明では「本書は歯切れのよい原書のリズムをいかしつつ、文語を口語に移した現代語訳」とあります。

一時期はやった「超訳」のようなものなのかねえ。
まあ、当該サイトの記事では目次の羅列をしただけでその「一冊」についてとか「文脈」についてはほとんどなにも語っていないも同然なのでどーでもいーといえばそうなんですが、言葉遣いとしてひっかかった。

これだけではただのネタなのでひとつ追加。

孔子」について触れた書籍としては「儒教 ルサンチマンの宗教 (平凡社新書 (007)) (新書) 浅野 裕一」がオススメ。
論語」独特のちょっとひっかかるうさんくささ(最近のマスコミなんかの世論形成なんかにも通じるあやしげな臭い)について
いろいろと理解が深まること請け合い。
ただし「論語」が大好きでたまらないヒトは読まない方がいいかもね(笑)。