Anything Goes (again) ...

Yahooブログから移りました

さてA20 (28-300 Di VC)

イメージ 1

こんな感じです。

状況はホテルのベッド傍の椅子から落下。高さにして40cm程度。
みてのとおりレンズのマウントよりレンズ側が崩壊しました。カメラ本体にはマウント部が残ったままだったのを、そっとはずしてこのかたちに。
ようするに、D3の重量にレンズ本体が負けた感じ。
さらに、ニコン自慢の堅牢Fマウントは無事(笑)だけれど、そこから先のレンズは耐えられませんでした、と。
ちなみに、D3側はノーダメージです。

修理費用いかんによってはタムロン使い続けるの躊躇するよなあ…
しかも、蓄積中ヨドバシ修理ポイントはS1300DVに全額使用予定なので実に間が悪い。
まあ、当面はVC抜きの28-300の現場復帰という感じですが。

修理に出すのか、純正の28-300に乗り換えるのか、少し悩むことにします。

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東京ドーム遊園地の事故、ニュース見てると「でぶは氏んでいいよ」とキャスターの皆さんがおっしゃっているようにみえてなりません。
てか、ハーネスかからないでぶが乗れる規約に問題あるだろうにとは思うけど、乗るときだけおなかへこませてごまかしたりしてると、動き出してからハーネスがはじかれて開いちゃうとかありそう。

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やっと日曜の番組をこなす。
ゴセイジャー、「みんなの力を一つに」の新スタイル模索中ですか。あいかわらずブラジラさんはいいキャラだし、横手さんの脚本展開に期待大です。
ooo、映画見に行った奴が「タジャドルの音楽と歌がかっこいいから満足」とかさわいでいたけれど。
「そいつがさわぐようだから」期待していなかったら案の定そんな感じでした。なにこの時代錯誤な感じ。
伊達さん、武器を後藤君にあずけてしまったりするのは
1.敵の力量がよめていない
2.なんだかんだ言って自分も人のために自分を泣かすタイプ
あたりですかね。映児の秘密にちょっと近づいたあたりでなにやらかっこよく早期退場、
後藤君にパトンタッチあたりか。

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1/3000のSDF1の出荷連絡あり。
到着が楽しみ。

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なんとか苦労しながらも新宮氏の「ラカン精神分析」読了。
後半は怒濤のトンデモっぷりで別の意味で堪能しました。
フロイトユングは、その論理性とかには「?」と思いつつも、対話と対人の一つの物語としては十分面白いのに対して、ラカニアンの仕事はそうはならないのですね。

で、とりあえずぼんやりと思っていることは、

・「科学的なみせかけ」欲しさの数式モドキの濫用。
 これは、ラカニアンの持つ「理系コンプレックス」としか思えません。興味深いのはラカン本人も新宮氏も共有している特性である、ということ。
・「わたしを見ておくちをきいて」状態。
 こんなの、子供だからかわいいのであって、いい年した大人がやるとひたすらグロテスクなだけだ、という希有な例証になってます。「x+y」なんていう鏡像うんぬんはつまりそういうことで、
「いや、他人にどう見られているかとか関係ないし」というのはヒトとしてダメ、と。
精神分析されちゃうぞ、と。なんでもかんでもあれのせいにするぞ、と。
まあ、ラカンの人生を追ってみるとまさしく「認められたいけど自己顕示欲も強いもんでうまくいきません」の典型です。新宮氏にかかるとそういう失敗をする性質自体がまた別のものに「解釈」されちゃいますが。ラカンの死因すら、ですものねえ。

精神分析者にとっての最重要事項がなにかわかりました。「他のすべての精神分析医よりも長生きをして、自分は常に「かいしゃく」する側にまわるべし」でしょう。解釈でも介錯でもいっしょだなこんなの。

 つまるところ、日本のラカニアンの一種恍惚とした言動とか、「ラカンは難解だけどすごい」みたいな持ち上げ方、Amazonのレビューに散見されるものとかみてても、(x+y)だの対象aだのというのはぶっちゃけたとこというと「世間」だよね、なんていう牽強付会やってもいいですか?
 文化社会的成立はともかく、文系と理系との間の隔絶を覆い隠すために活用される舞台装置としての「世間」。わはは、いくらでもこのテーマなら書けそうだ(笑)。

 そう、フロイトと一番違う点は、ラカニアンの精神分析は他者を理解しようという視座が希薄で基本的になんでも「オレガオレガ」という地点に落とし込もうとするところ、という印象。
だから、アヤシゲな半可通による偽科学的表現を「数式」呼ばわりしちゃったりもしますし、自他の欲望の区別がつかなくても平気です。

「王様は裸」というけれど、それよりもなによりも端的に「こけおどし」という感じだなあ。

ドーキンス理論を勝手にねじくったあげくに「女性は強姦されたほうが妊娠しやすいし、女性は潜在的に強姦による妊娠を望んでいるんだ」とやらかした竹内久美子女史の立論なんかを思い出しました。
ラカン的解釈をするならば、その欲求は誰のものだったのですか?とか聞きたくなっちゃいますねぇ。

えーと、だからラカンはオカルトじゃないと思います。むずかしいことを言っている訳でもなかろう、と。
ただ、テレビでダイエットにいいと聞かされるや納豆やココアを買い占めに走る人たちの一人。
ただ、誰よりも早く買いに走り、その効果のほどには興味なく、「自分が何を手に入れたか」
とその効能をできるだけ「科学的=この場合ワイドショー的と同義」にアピリたいだけで。

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