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月光ノ仮面 初日(監督の舞台挨拶つき)

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月光ノ仮面初日。監督の舞台挨拶&サイン握手会まであったりして望外。

えーと、ダークファンタジーです。プラス、悪ふざけギャグがちらほら。そのあたりのパランスについては賛否わかれるかも。特にタイムスリッパーさん関連は本編との接点が不明なぶん余計だとおもわれちゃうかも。
脚本、監督ともに増本氏との共同作業。クロマティ以来の、というか、クロマティとは逆の関係ぽいですが、板尾監督にいわせると「いつもいっしょなんで分担とかいわれてもなあ」らしいです。なるほど。いわれてみれば同質の匂いはあります。増本さんは今回ちょいやく出演を「していない」とのことでせっかくなのにそこが残念。

まず、ほめます。ラストシーンからの逆算でつくられた、とブログラムで明言されているにもかかわらず、わかってみていてもラストシーンは異様な出来で、これは高評価できる。考えようによっては寄席という世界のもっとも幸せな終わり方かもしれない。わかってみていて色あせないパワーがここにはあります。GJ。

不条理劇としてはいまひとつ感がどうしても残るんですよね。小さなネタがあまりにもばらばらすぎる。時間軸その他がぐちゃぐちゃになっている示唆が強くなされている(満月が欠けない、鯉はすでにはやいうちに死んで水面にういている、タイムスリッパー中松、月が二つあがる、人力を引く男の意味深な言葉と態度などなど)にも関わらず、それを本編にからませようという意思がほとんどみえません。

男とうさぎの関係は、戦地で死地を経験した際に「どちらがどちらになってもよい」ものとなっていたので、たぶん、そこは「そういうもの」だとは思います。男の記憶が本当に失われているのかどうか、も不明。でも、たぶんタイトルにあるように男は「月」なのでしょう。なにかに照らされて姿がはじめて見える、位置によって姿(仮面)がどんどんかわる。そう考えるとラストシーンはそんなに奇妙ではない。喉の傷もないのであれは「男」なのだけれど。

どうも、監督との質疑応答から感じたのは、板尾氏本人もこの映画の着地点を明確に意図してはいないっぽいな、ということ。松本監督の映画から時折感じる素人っぽさとつながるじれったさはそのあたりに根がありそうです。そのへん、画面の雰囲気考えるともったいないなあ。松本監督もさや侍でようやく、という感じだから、次作には期待している訳ですが。たとえば、クロマティの時はスペクトルマンをもちだしてどうするんだよ、となるはずがきれいにうまくまとまったずるさで押さえ込んでいました。どうもそのあたりのバランスが今ひとつ。

#きついこといっちゃうと「原作板尾・監督増本」にしちゃえばよかったのかも、とも思っちゃう。

力技で不条理コメディをおさえこむ逸品、といえばスピルバーグ監督の1941とかもあるんだよなあ、とか思いつつ。
あと、どうでもいい個人的な感想は、「これ、今川監督の白昼の残月」だよなあ、でした。二人の正太郎。
シチュエーションだけですけどね。

古典落語のサビをちょろちょろとだすのはおしゃれでした。粗忽長屋ももうすこしちゃんとみせてくれてもよかったのになあ。矢部くんの金明竹はなかなかのもんです。キャラクターにあってる(笑)

正直にいえばこの映画、おもしろかったんです。それは確か。ただ、ふむふむ、とみている感じでこちらのパッションがゆさぶられるようなところがほとんどなかったのが残念。声だして笑うとか涙がでてくる、とかそういうのと無縁な感じ。たぶん、「映画として」はそのあたりが課題なんじゃないかなー。

とりあえず、小説版もみてみるかな。
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