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おおかみこどもの雨と雪

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 初日にいったら箱は結構いっぱいでした。
とりあえず。見所は明白にジブリを超えた自然の表現。風と、光と、水。
もう、それを見るだけでも価値がある、くらいに。

物語は13年の圧縮です。
 監督がインタビューでは自分の目線を女性のものだと強調していますが、どうもそうではないような感じもする。
 これ、一言でいってしまえば母親は息子を理解できないorしたくない、という話になっています。途中までは(いつものY字路など)動物の子育てのことも調べている表現があったのに、田舎に引っ越してからは皆無になります。それでなくてもおおかみ男の血をつぐ子供なのだから「普通の子育て」と感覚は違うはずなのに、「人前で狼にならないこと」以上の狼性についての言及がなく、ドラマ的に言及されないだけかと思っていたら、最後の最後になるまで雨が「狼である事」を許容できないとか、そのへんの「子供と対話しない親」みたいなことをやってのけます。
 狼の10歳は子供ではないどころかどちらかというと老人だし、人間の10歳だって「まだまだ小さな子供なんだから」といってのけるほど小さくもない。

 小便で畑の動物よけになる、程度の狼性しか表現されていないことが残念だし、それってすなわち死んだ父親の、「狼である部分」が花にはそれほどきちんと受け止められていなかった、ということにもなるし、と。
 「まだ、なにもしてあげられてない」というのは、一見よい台詞だけれど、単に「子供のことをちゃんと見ていない証拠」でしかありません。

 もちろん、この映画は普通に見る事が可能です。人狼という設定にふりまわされずに見たとき、「おおかみこどもの雨と雪」は二面性のある映画、となります。一つは、「女手一つで子育てをする大変さ」、もうひとつは、「どんなに良い母親でも男子のことはちっともわからないものだ」。いや、細田監督にとってはこの二つはもしかすると同じ事なのかもしれない。

 じいさんに「なんで笑う!」と怒鳴られますが、それは花の「笑顔」が笑っていないからですね。周囲の真摯な人間を苛つかせる笑顔。とにかく、いつでもなにがあっても笑っていよう、という父親からの呪縛。楽しい時やうれしい時にも笑うけれど、それ以上に辛い時、苦しい時にこそ笑うようになってしまった花のいびつさのようなものが看破された瞬間でした。それ故、「惚れているんだよ」と周囲から揶揄されてもじいさんは花をサポートしたのだろうと思います。しなければいけない危うさがある。成長するに従って、だんだん笑わなくなる雨との対比、でもあるかもしれません。
 雪についてもそうです。狼としての野生が表出することを恐れ、注意すべきなのに「耳をだしちゃいけない」程度の感覚で「おまじない」を教える。キレやすいこどもに、深呼吸しなさい、と言う程度のことでしかありません。狼という動物の性質を学んでいれば(本棚のようすから、それは学んでいたはずなのです)、もう少し違う対応があったはず、と思えるのです。「人」と「狼」のどちらを選ぶのか、どちらでも選べるように田舎に引っ越したのはずなのに、「狼になること」についての思慮はごっそりと欠落しています。だから、転校生を傷つけてしまうことになる。おまじないはもちろん効くはずがありません。問題は自分の内面なのだから。花は、つくづく自分の選んだ相手がおおかみおとこであった、という現実を受け止めもしないまま子育てに突入した感じなのです。
 二人が出会って、おおかもおとこが死ぬまでの数年間を映画では駆け足のように、早回しのようにはしょってみせました。なんとなく、映像表現として簡略化されただけ、と思い込みがちですが、実は、「実際の二人の関係性」自体もその程度に希薄な、表層のものだったのではないか、と思えます。

 狼らしさがちゃんと表現しきれていないのではないか、というのは、この、父親のおおかみおとこの死もそうです。まがりなりにも数十年を人として生きてきた彼が、子供、しかも、二人目の子供のためにあのような不用意な死をむかえるものなのか。本能に負けた、というおざなりな言葉でそれを納得してしまっていいのか、と。

 小説では、雨が先生から教わる内容を、自然観察の森で花が学んでいる事と対比してみせるシーンがあり、これは一つの重要な見せ場です。「人間の知識の不完全さ」を強調する自然。名付けの哲学についての言及。いかに、人間が森や山について何も知らないか。そして、その「人間が知らない知識」を着実に習得している雨。
 こんなこと、伝える言語をもたない野生動物にできるわけがないじゃん、とか、どう考えても先生と雨って同い年くらいだよね、とか、そういううるさいことをいわないにせよ、そこにあるのはジブリほどえげつなくはないとしても、ある種の自然讃歌、文明の否定のはず。そして、で、あればこそ、雨の野生を受け止める事ができたのが先生たった一人であったことの不自然さが頭にひっかかる。都会の人間関係と文化性から逃げ出すために田舎にきたはずの花は、本来ならばそこで自然の立ち位置にまわることができたのかもしれませんでした。
 でも、花には息子を受け止められません。雨が、あれだけがんばって母親とも共有しようとした知識、理解を、受け止め、理解する事を拒絶しました。雨が嬉々として母親に報告している内容について、途中で勉強しておいつくことを諦め、「そう、よかったわね」以上の受け止め方をしなくなった、ということです。
 雪は、花の娘です。そして、雨は、おおかみおとこの息子であり、結局、最後までそれ以上でもそれ以下でもありませんでした。彼の繊細さについても、野生の目覚めについても、その発育についても、母親はただみているか、見もしないかのどちらかでした。
 「先生は、もう長くない」と、雨は母親に伝えています。その瞬間に、花は息子の親離れを理解できたはずだし、できるべきでした。それなのに、もう山に行くな、といいます。「狼でも人間でも選べるように、父親ゆかりのこの山里にきた」のではなかったのですか?と。それなのに、狼の道を頭から否定しようとする花。
 おおかみにはおおかみの生き方と役割がある、というのであれば、この13年間の子育てはなんだったのか。ちっちゃくてふわふわしている間はいっしょに野山を走り回っても、大きくなったらもうできない、ということなのか。雨が母親に確認したように、「成長した狼は拒絶される」のでした。実の母親にすら。

 途中から、雨にとっての母親は、大切だし守らなければならない、でも、なにもわかってもらえない相手、になっていきます。雨にとってはそれは「あたりまえ」のことです。だって、自分は狼で、母親はニンゲンなのですから。姉にも相談できません。姉もまたニンゲンになってしまったからです。

 先に、小説を読んだ時の感想は「主役は雨と先生、そして父親」でしたが、映像で見ても、やはりそんな感じだったのがちょっとだけ残念です。

 作品のリアリティとしては、まあいろいろあります。あんな大きな動物の死体をあの手のゴミ収集車で持って行くだろうか、とか、免許証がある、ということはおおかみおとこは戸籍をもっていたはずだけれど、とか、子供たちが学校にいくにあたってそのあたりはどうしたのか、とか。逆に、「日本には古来人にまぎれておおかみが一緒に暮らしてきた」という背景があるのかと思ったけれど、どうもそういう話でもないのですよね。
 それともあれかな、全国のゴミ集積場を探せばニホンオオカミの骨格が見つかるのかな。

 民生委員の人たちが、画面では嫌な人たちのように表現されていたのも、ストーリーの都合上しかたないとはいえ残念。

 「おおかみこどもの雨と雪」、どうだった?ときかれたら、おもしろかったよ、きれいだったよ、おすすめだよ、と答えましょう。ただ、個人的には「おおかみこども」であるが故に、その「おおかみ」の部分についての残念さが色濃いのです。「サマーウォーズ」も面白かったけれど、冗長な部分がありました。ウォーゲームのほうが引き締まっていてよかった、みたいな感じ。今回も、そういったまとまりのつかなさのようなものを感じるのです。自然を描く作品としては大成功でしょう。そこの登場「人物」への感情移入もばっちりです。一途で元気よいお母さんと、素直な子供たち。気のよい親切な隣人。そう、ジブリ要因は完璧にのりこなしました。足りないのは、きれいなだけではない本当の自然の姿、荒々しさ、動物の野生、e.t.c.、つまり「おおかみおとこ」であり、「おおかみこども」それ自体の掘り下げでした。僕がものたりないのは、そこに狼の物語がまったくなかったから、といってもいいかもしれません。シートンですらなかった、ということに。

 それにしても、今の細田監督を形成したであろう最も大きな要因である「ハウル」と「ジブリ」について、大量に出ている書籍類に(小黒さんのインタビューを含めても)ほとんどふれられていない、という事実が気になります。よっぽどのことがあったんだろうなあ、と。
 もしかすると、その「まとまりのつかなさ」がジブリを意識した結果だったりするのではないか、と一抹の不安にかられています。そういう意味ではあきらかにジブリ作品を超えたと言っていいでしょうけれど。

 でも、細田監督につくってほしいのはもっと別の物、という気がするのです。

追伸:
もうひとつの読解例として「携帯小説の後日談」として読み解く、という発想をご紹介。うーん、整合性がとれすぎていて…
http://togetter.com/li/351416?f=tgtn
「おおかみこどもをハートフルな話のままにしておきたい人は絶対に見ちゃダメなレビュー」

「おとこはおおかみなのよ きをつけなさい」という歌がリフレインする。。。