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華麗なるギャツビー (It's my favor….)

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 言わずと知れたグレートギャツビー。今回はバズ・ラーマン監督とディカブリオ、そしてマグワイヤという布陣に、「本物の豪華衣装。アクセサリー」という鳴りもの入りで来ました。もともと原作にはあまり興味なかったし、過去のレッドフォード版もなんかぴんとこないし、ラーマン監督の作品も未見(なんか興味をひくものがなかった)だったのだけれど、絢爛な衣装等への興味と、ジャンゴで一皮むけた演技をみせたディカプリオが気になり、たまっていたポイントで鑑賞。
 結果として、衣装とかの印象よりもCGを援用した風景の美しさと主役二人のもつ空気にやられました。これなら原作ももう一度ちゃんと読んでみようかな、と思うレベル。

 パーティシーンは確かに贅沢ですが、小道具よりも演奏や踊り、照明、花火といった美しさのほうが印象に強く残ります。CGであろう向かいの緑の灯火も不思議な感じを残していてうまい。
 長い映画なんですが、それでもニックが振り返る、というかたちで語り部化し、さらに文字で原作のフレーズを浮かべていくという演出を使ってつまめるとこはつまんだ感じ。

 デイジーというキャラクターの嫌なところはちょっと薄めてあります。ウルフシェイムとギャツビーの絆にもあまり触れません。ギャツビーの父親も省略。その結果、「ちゃんとした人物」は(語りの外にいるニックの担当医を除けば)ギャツビーとニックの二人だけとなりました。まさに、最後にニックが彼に語りかける言葉のままに。
 ニックの目線でギャツビーを見据えているため、謎の大金持ち→純粋純朴な少年→人生のすべてをかけた執着に囚われている男→その純粋さ故に孤独な男、というように意味合いが変化していきます。あくまでもギャツビーを見る視点がかわっていく事が中心なので、そこに据えられている「デイジーという存在」がどういうものか、といったことは最低限しか語られません。
 いや、もしかするとラーマン監督はギャツビーの本当の出自について触れた時にその部分についても十分説明したつもり、なのかもしれませんが。
 ギャツビーの裏稼業のことや当時の禁酒法時代の背景、デトロイトのこととかもあまり説明されないので映画だけだとつらいかもしれない。

 この物語は、貧しい出自を持つギャツビーが、上流階級の女性の中に自らにはないものを見つけ出し、彼女の望むものを彼女の言うがままに用意し迎えにきたけれど、という流れです。はっきり言ってしまえばデイジーというのは単に良いところのお嬢さんであるというだけで、とりたてて言うべきところのある人間ではありません。ニックとギャツビーの素直で純粋な関係をみている立場からすれば、どうしてギャツビーはあんな女性にここまで惹かれているのかさっぱりわからない。

 禁酒法当時のアメリカの雰囲気、「誰もがクズ」の社会の中で、ギャツビーがよりどころとした灯台がデイジーだったのだろうけれど、それはギャツビーの心の中のはなしであり、デイジー本人とは無関係です。ギャツビー自身もニックと出会うまではクズ以外の人間は周りにはいなかった。ジョーダンだって、ニックが「外で待つ」という時に家にはいってしまう側の人間でした。そんな人間関係の物語になっているため、ディカプリオとマグワイヤの好演が光ります。

 ひとつだけ残念なのは、そのせいで「クズばかりの時代」がかすんでしまったこと。デイジー夫婦もそうだし、ジョーダンもそうなのだけれど、本当ならこういう部分は個人の特性を超えた時代の大きなうねりとしてのクズが描出されるべきだった気がします。そこにかろうじて近いのは眼科医の看板、くらいでしょうか。このあたりの演出は賛否分かれそう。

 アメリカという国の歴史や風俗を有る程度知っていればより楽しむ事が出来る、原作の既読未読はあまり気にしなくてもいいかもしれない(読んでおいたほうがわかりやすいのは確か)、そういうつくりでした。あと、全体的に暗いシーンが多いので3Dよりも2Dのほうが目に優しいかも。

 あと、トビー。スパイダーマンの印象だと丸顔だったのに成長したんだねえ。