Anything Goes (again) ...

Yahooブログから移りました

Gの再メッキ

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 ああ、ユニコーン平成ガメラだったのだな、と再確認してきました。UCって「ほれ、オマエラどうせこういうのをみたいんだろ?」という作り手の嫌らしい臭いがぷんぷんしていて、登場するメカや小ネタは結構いいのに全体的な物語ががたがたなこけおどしだった印象なのだけれど、あれって「王道」と対比しないとその嫌らしさがなかなか表にでてこない類いの悪辣さで。
 富野御大の王道です。「脱ガンダム」というけれど、それはたぶん御大の中でうずまいている「ガンダムにかこつけたあしぶみとおもねりばかりしてる奴ら」とかからの「脱」なのかな、と。そういう意味ではGレコは若者と大人、成長のターニングポイント、メカとしてのモビルスーツ、という意味ではきっちりと「ガンダム」。つまり「脱ガンダム」ではなく「脱・ガンダムもどき」なのです。
 気持ち悪いうじうじした変なやつとか、これみよがしに「最近のはやり」を追いかけたような外見や設定のキャラとか、あからさまに「こういうのがかっこいいんだろ?」みたいな見飽きたメカはでてきません。だからこその小細工なしの王道。いや、富野御大がガンダムをつくる、という時点で小細工としては最大級のものが炸裂しているのでそれ以上はいらない、というべきか。

 Vの時のように「宇宙世紀に人類がやらかしたこと」を全否定する世界は、逆に「それをもひっくるめて」全肯定したターンAと対になるのかも、と思わせます。アメリア国だし。ミノフスキー粒子はちゃんと使われているし古いMSは博物館にしまってある(マジンガーみたい)し、「自然エネルギー」的な立ち位置への言及も有る。政治と宗教と利権がからんだ大人の世界と、そこをななめに飛び越える若者の理屈とがからまりそうな予感をみせる冒頭三話でした。

 物語の雰囲気としてはやはりキングゲイナーっぽいかな、と。キャラデザだけではなく、たぶん主人公の家庭環境とか、今後描かれるであろうコミュニティからの脱出(それが大きな物語をつむいでしまう、まで)も含めて。

 もうひとつ、たぶん強烈に意識しているであろう点が「リアリティ」。「それっぽいリアリテイ」って作り手と受けての暗黙のオヤクソクに基づくだけで、実はリアルでもなんでもないのです。ジブリ細田がどんなに「本物っぽい」描写を絵として成立させても、そこに付帯する物語と演出がうそっぽかったせいで元も子もなくなったように。なので、今回のMSたちは昭和アニメのテイストをどこかに感じさせるデザインであるにも関わらず、劇中で動いてみせた時の説得力がすばらしい、という方向になっています。いや、たぶんこれは逆で、これを「そのように動かせた」からこそ、御大がアピールしている「てごたえ」なのでしょう。

 そして、これが「アニメ」である、ということ。だからこそ、問題提起だけでなく、見ていて元気で明るいキャラクター達が先のよめない展開の中で冒険をくりひろげる、ということになり、だからこその「王道」であるわけです。そのあたり、一時期のアニメファンは大量の作品に食傷をおこし、たとえばエヴァンゲリオンのような「これみよがしになにかありそうに感じさせるミステリアスさ(実際には何一つ物語りとして回収されないのでただのこけおどし)」なんかにとびついてみせたり、まどマギのような「オヤクソクと裏切り」にカタルシスを感じてみたりしてきましたが、御大はそこに豪速球を投げ込んでみせよう、という意気込みを感じます。

 これは、ものすごく楽しみ。「がんだむはしょだいからぜーたまで」とか「ごぢらはきぐるみに限る」とか「サンマは目黒でないと」といった受け手の脳の愚昧な硬直をたたきこわせるのかどうか、がキモです。Gレコは深夜枠だけど、ほぼ同時期のゴールデンにはこれもまたガンダムの枠を斜めにぶったぎって広げたビルドファイターズの新作もかかりますし、この秋はいろいろとわくわくします。