Anything Goes (again) ...

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君の名は。(うけつがれる大いなる母親の物語)

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 映画館の予告編がすこしづつ少しづつ変化していくのを見ているうちに俄然気になってきて、公開二日目に行ってきました。初新海。SF風味のオシャレ恋愛青春ものだろうとたかをくくっていたのだけれど(それはそうだったのだけれど)、背景の美しさ、脚本の自然さ、シーンの繋ぎ方のうまさ、余計な説明をせずにぐいぐい展開していく構成、もう、完璧にやられました。面白かった。
 大量の小ネタが仕込まれているけれど、それらは「気が付かなけれはそれでいい」もので、でも気がついてしまえば奥行きが増す、という王道。一本の物語として、見終えたときの満足度は極めて高いものでした。実は、おもしろくなかったときの口直しとしてもう一本別の映画をこの後に控えさせていたのだけれど、見終えてみれば杞憂だった、くらい。脚本に不自然さが感じられない、というだけで、もう、心安らかに楽しめます。いや、「監督が脚本も書いている」ので初新海の者としてはこれまでの他の監督の作品の経験から(察してくださいアレとかソレとか)すさまじくとんでもなく不安だったのです。

 人によっては鉄道がらみの音そのほかがひっかかるみたい、とか、ニュース画面の彗星の軌道おかしいよね、とかあるけれど実はそのあたりは今回ほとんど気になりませんでした。彗星軌道の方は本来ならば「ちょっとやらかしちゃった」感じなのだけれど、それが「ニュース画面」だったのが幸いで、ほら、現実にニュースの背景にある説明画面って結構嘘っぱちなので…(報道ステーションがやらかした左巻きのDNAとか、おおすみとぶつかったボートのサイズだとか)まあ、軌道のはなしをしだすと1200年周期の彗星が三回連続でほぼ同じ場所に石を落とすとかなんなの?となっちゃうしねえ。

 一つだけ気になっていたのは「母親の不在」でした。どちらの主人公も「母親がいない」。宮水のほうは一族の伝承の鍵となるので重要なポジションなのだけれど、最後のいれかわり時のさかのぼりで語られたのみでした。いや、随所の伏線で触れられているからこそ、「母親の不在」は実は本作の大きな軸なのだと思います。本編では語られていないけれど(「あんた、夢をみてるね」、「おまえは、誰だ」で語られているのだけれど)町長の最後の「仕事」にはそこにいない母親、二葉がつながっているはずだし。そもそも「ティアマット」自体が大いなる母親です。いわば宮水の村は彗星を母として持つ集落、ということなのかもしれません。ウルトラマンXのホオリンガみたいな。 

#このあたりについて、「Another Side:Earthbound」の方では丁寧にわかりやすく描かれているので、映画だけではよくわからない、というむきはどうぞ。(ただ、ちょっとやりすぎ(無粋な)な気もします)

 とりあえず、小説版を買い、その流れでサントラを買い、ビジュアルブックを手に入れたところ。円盤待ちとなるか、もう一度劇場に足を運ぼうか、という状態であります。