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シン・ゴジラ (無言)

 まず、最初にことわっておきますが、そもそも予告編の段階で何一つ期待していなかった(というかすごくつまらなそうだった)上、それでも評判を聞いて見に行ったところ途中でチケットを買ったことを激しく後悔し、映画館で映画を見ていてほぼ初めて「途中で帰りたくなった」ことを告白しておきます。感想?一言で言って「くっそつまんなかった」。ずっと平坦で山も谷も乏しい退屈な展開(個別のカット、シーン単位ならそんなことはないのに)、喋り方で勢いをつけてはいても陳腐なセリフの山、興奮なし、カタルシスなし、つじつまあわせもなし、そのあたりが欲しければ細部から自分で勝手に想像しろ、ということでしょうかね、これ。少なくとも、ロードショー作品分のお代を支払う代物ではなかった。この「見てしまった記憶・経験」を消せるものなら、と思っています。この「シン・ゴジラ」体験のせいでその後ロードショー作品を見に行くたび「これも途中で帰りたくなっちゃう出来だったらどうしよう」というストレスがかかるようになる、という酷い後遺症が残りました。これたぶん、何かのイベント上映とかだったら大興奮してべた褒めしていただろうな、とは思うのですが。(とはいえ先の「巨神兵」はそれでもダメだったけど)

 突っ込みどころが山ほどあります。エンドクレジットに協力として名前がでてくる生物屋さんたちは出来上がった作品を見てどんな感想をもったのかしら。そしてこれもあらかじめことわっておきますが「細部はいい」んですよね。庵野監督のこだわりが見て取れる細部についてはこれでもかというほどに力が入っていて、それこそいくらでも後で語り合える(ここがポイントなんです)。言い換えれば、監督が「こだわっていない」部分については酷いもんだし、たぶんそういうところでの共感をもてない人間は、はなから映画の観客としてターゲットされていないのです。そう、自分は「お呼びでなかった」のです。

 庵野ワールドが好きな人にとっては「おいしいものばかりが並んだテーブル」です。楽しいものがたくさんつまっていつまでも遊んでいられる雑然とした「おもちゃ箱」です。そこが入り口。そうでない人にとっては「あれ?」となります。さらにそこに「自分のこだわり」と真っ向からぶつかるモノがでてくると、ちょっと耐えられなくなる。少なくとも、生物屋と歯科業界の人間は「ちょっとまてよ」をふまえないと楽しめないのではないかしら。

 ただ、エヴァできたえた庵野監督の凄みは「それでも売れるように細工することができる」点です。現にリピーターが続出して興行収入もなかなかのものになりそう。悲しいけれど「こういうのが見たいんだろ?」と観客をころがす監督の手のひらは的確なのです。なので、このエントリーはそれに納得できないある人間の吐き出す言の葉にすぎません。

 前もって押さえておきますが、「俳優の早口」なんかは見ていて全然気にならなかったし、エヴァのリズムも気にならなかったし、石原さとみの演技もそんなに違和感なかった(逆にとてもよくがんばったと思う。もう少し日本語がカタコトだとよかったかな)し、憲法も法律もデモも気になりませんでした。そういうことではないんです。ゴジラの歩き方だって文句ありません。知っている場所がでてくるノリも興奮しました。庵野監督は「気になる要素」を過剰にぶちこめば観客が勝手にそこから世界をつむいでくれる、という手口をエヴァで確立させてしまいましたが今回はそれの集大成のようなものです。冒頭からしばらく続く政治家のやりとりなんて、普通に見ればモンティパイソンやライトスタッフばりのギャグシーンの連続なのだけれど、3.11からの津波を想起させるシーンをおりまぜることで「これがリアル」だと思わせる誘導に成功しています。ほんと、あのあたりは声出して笑うシチュエーションの連続なのになんでみんな笑わないの?逆に「御用学者じゃらちがあかん」のシーンとかはすべってしまっているのにどうして笑うの?(このあたり、監督の読みがどこまで機能しているのか、はちょっと気になります)

 個人的にとてもがっかりしたのが、作品全体に渡って染み込んでいる「生物学の軽視」です。ちゃんと調べていないだけではなく、通り一遍の間違った解釈を「それで正しい」とばかりに脚本に盛り込んでいくいい加減さ。じゃあ「既存の生物学の体系では理解できないなにか」にすればまだSFの体裁はたもてただろうに、細部では「それっぽい用語」を遣っていかにも生物学でござい、という顔をするだらしなさ。これ、さすがにたぶんわざとではなく、「そこに監督の見たい・撮りたいシーンがなかった」というだけのことなのでしょうけれど、だったらそこを補えるような共同制作者、構成をおくべきでした。まわりをシンパでかためるからこんなことになる。これ、自分の立場からそう思ったわけだけれど、たぶん他の専門分野から見てもそういう「監督がおざなりにした部分の素人レベルの不誠実さ」は山ほどあるのではないかな、と思っています。

 まず、しょっぱなの「まるで進化だ」でげんなりします。いや、それ以前に「尻尾だ」で「なんかやばいなこれ(なんで尻尾だと思うんだ?)」と感じていた違和感ががすとんと落ちる感じ。この人、大学で学んだことなんかみんな忘れているんだろうな。進化とは何か、で小泉元首相程度の誤読どまりの理解なんだろうな、と、いう軽い絶望を感じます。そこ、強いていうなら「変態」でしょうが。なんで「進化」なんだよ、と。あげくのはてにその絶望の背中を押すのが「人類の8倍のゲノム」だから「進化が早い」という謎理論。いや、そもそも「ヒトの」ではなく「人類の」8倍ってなんですか?ゲノムがなにかわかっていないのかな?そして、中等教育を受けていればあたりまえのことですが、「ゲノムサイズ」と「進化速度」は関係ありません。そもそも、それならヒトよりゲノムサイズの大きい生き物、植物やアメーバやサンショウウオたちは一体どんな劇的な「進化」を日々し続けているというのやら。
 これ、「進化」と「ゲノム」「遺伝子」というワードに対する「どこかで拾った嘘イメージ」を確かめもせずにそのまま知ったかぶりして遣った結果です。エセ科学系サブリメントの宣伝みたいな感じ。自衛隊や国会については緻密な取材をしたらしいけれど、生物学系の内容については、専門家(そのへんの高校生でも可)に意見を聞いてすらいないのではないか、というレベルです。もう、この時点でEM菌とかと同じカテゴリー。政治家が生物学者を呼んで意見を聞くシーンも無駄に「有名アニメ監督のパロディ」を仕込んだり首相に「御用学者じゃだめだ」とわざわざ言わせたり(「御用」という言葉を政治家サイドがこういうふうに遣う?「御用」の意味わかってる?)、制作サイドからは生物学分野に対するネガキャンすら感じちゃいます。かろうじて省内で格下扱いの尾頭がこれまた「絵に描いたような典型的な理系女子」姿を晒すことによってバランスをとる感じでこれももうなんというか。やるんならゴジラの「細胞」とか「DNA」が既存のものとまったく似ていない未知の構造で、くらいはやらないと筋も理屈もとおりません。でも、尾頭の見せ場となる「人間側からの類推」が成立するシーンを描くために、一番大事なゴジラが犠牲になりました。本末が転倒するのはいつものこと、でしたっけ?
 対策の鍵を握る折り紙からでてくるのが今度は「微生物の分子構造」。タンバク質の、ではなく「微生物の」です。もうこのあたりで開いた口はふさぎようがなくなってくるのだけれど、さらに「最後の作戦」がまた酷い。たぶん監督が絵として撮りたかった「無人在来線爆弾」(足元すくうしか)と「巨大建機部隊」(ポンプ車ぐらいしか)のせいなのだろうけれど、都合よくいい向きに転んだゴジラの口元に高圧ポンプ車のほっそいバイプふくませて「血液凝固剤」をちゅうちゅう入れていく、という、もう乾いた笑いすらもでないお寒い画面が続きます。ヘドラ戦で空飛んだときだって、ゴジラがシェーをしたときだってこんなにあきれはしませんでしたよ。監督、歯医者いったことないのかしらね、と。

 想像してみりゃわかります。自分が横になったときに(これ、つまり「誤嚥防止の体勢」ですよ)、外からストローみたいなものを口元にもってこられてなんか液体を噴出したからといって、あなた「それを嚥下しますか?」と。物を飲み込む、という動作をなめんじゃないよ、と。あれ、ほぼ全部「そのへん」にぶちまけられているはず。あれが成立するのはゴジラがあの凝固剤を赤ちゃんのミルクのように積極的に飲んでくれた場合、です。んなわけあるか、と。ヤマタノオロチは好物の酒だから「飲んでくれた」んでしょうが。それとも庵野監督は歯医者で歯を削るときの水をそのまま全部ごくごくと飲んでいるのでしょうか。
 いや、いいでしょう。巨大建機のロマンとして、強烈な圧力で無理やりおしこんで飲み込ませた、ことにしましょう。そこはゆずりましょう。で、注入しているのは「血液凝固剤」です。あの、それを「消化管の中」に入れてどうすんですか?劇中のセリフから、既存の生物の成分を参考にしてつくられているので主成分タンパク質等でしょうけど、それ、「消化されて終わり」ですよね?なんでせっかく米軍が背中につくってくれた傷こじあけて注入しようとしないんですか? はい、これも昨今巷で騒がしい「酵素サプリ」的な似非科学ネタです。あるいは「お肌のためにコラーゲンを飲みましょう」系。胃の中でアミノ酸にまで消化分解されておわりでしょうに。製作陣の科学リテラシーに疑問符がつきます。
 いやもう、これもいいでしょう。いいことにしましょう。なんだかよくわからない「微生物の分子構造」のおかげで消化器官からも血液凝固剤が機能するんだ、ということにしましょう。大きく後ろにゆずりましょう、ここも。でもね、途中であきらかになったように、あいつ、「何も食べない」のではなかったんですか? つまり、必要なエネルギーを核でまかなうため、そもそも食事ということをしないのでしょ?だったら、「口のように見える」ところの奥に「消化器官のように見える」ものがあったとしてもそれは別物でしょ? そもそも「消化器官は必要ない」のでしょ? それどころか口から放射熱線吐いているのだからあの奥は強力な原子炉ですよね? 消化されるどころじゃないですよね?

 まあ、そういう「えげつないほどのがっかり」にことごとく目をつぶったとしても、「こてん」>「ちゅうちゅう」、「こてん」>「ちゅうちゅう」のくりかえしにはもうひきつった笑いすらも出ませんでした。今、自分は1800円も出して何を見せられているの?、と。「実在する建機」というリアルを絵作りしたせいで肝心の内容が荒唐無稽を通り過ぎてすかすかになってしまったがっかりラストでした。

 そのほかにも、米軍が地中貫通ミサイルを撃つ、といっているのに都民を地下に避難させたり、あたかも「俺は先をみすえている」といわんばかりの赤坂があそこまで事態をみていながら「核で倒せる」と信じていて、主人公がそれを否定もしないところとか(あの段階なら核をぶつけるとそのエネルギーにも対応されてしまうだろうことは想像がつくでしょうに)、もういろいろとぐだぐだです。

 B2を落とす全方位ビームのシーンとかは力が入っているし「あのシーンだけ」をみせられたら「すごいなあ」と思うかもしれない(そういうシーンばかりです)。最初のほうのゴジラが海からあがってきた後の瓦礫の様子とかがどうみても「巨大生物の通った後」ではなく「津波の後の瓦礫」でしかなかったところとか、ああ、あざといねぇうまいねえ、今の日本人からならリアルっぽいといわれるみせかけだねえ(つまり「ちっともリアルじゃないねえ」、「どちらかというと津波をネタにした悪ふざけにも見える」、)とは思いました。ようするに、庵野式撮りたいシーン(ファンにウケるシーン)のアラカルト作品なんです。はっきりいって映画の体をなしていません。コースご飯をたべにいったのに、ひたすら超美味しい「白米」しかでてこなかったような、そんな感じ。今まで、「どんな映画を見ても(それこそエヴァQですら)」箱に入ったこと自体を後悔したことはなかったのですが、今回ばかりは例外でした。知り合いの一人は「盛り上がらなかった」、もう一人は「つい寝てしまった」と言っていたけれどその気持ちのほうがよくわかります。
だって、自分は「映画」を見るために映画館に入ったはずだったのだから。

 結局、巨額を費やして庵野監督が「自分の撮りたい・見たい」映像を並べました。並べるにあたって初代ゴジラをモチーフとしてお得意のおもわせぶりオマージュを大量にしつこくねじこみました。細部を見ていけばいくほど、語るネタには事欠きません。庵野ワールドが大好きな人にとって、こんな素敵なご馳走はないでしょう。でも、そうでなければ、庵野監督が重視「しなかった」部分のずさんさ、全体の構成やセリフのおざなりさ、が目について映画一本の尺としての整理整頓のついていない失敗作、でしかありません。「サブでいればすごく優秀なのに」と言われていた庵野監督、個人的には「今回もやっぱり」でした。

 新世紀エヴァンゲリオンで、庵野監督は「おもわせぶりシステム」を確立させてしまいました。エヴァ以降、それにあやかるように亜流の作品が粗製乱造されていった流れは富野御大の辛口をまつまでもなくはっきりしている、といっていいでしょう。で、あれば今回のシン・ゴジラ以降「邦画もこれでいけんじゃね?」とばかりに安易な模倣に業界が予算を費やすようなことにならなければいいけれど、と危惧しています。

 ところで、富野御大はシン・ゴジラについて何か語っているかしら?

(追記)
 CGの表現、特撮表現等は概ね満足、か、大満足、でした。予算規模の違う海外作品と比べてもしかたないし、今の日本でここまでできるのなら、という感じ。少なくとも「巨神兵」に感じた「歪んだ拘りによる不細工な表現」になるようなことがなかったのでほっとしました。(ヤシオリ作戦シーンは…なにも言いますまい…)うーん、やっぱり「メインライターは別に大局をまとめられる人、脚本を書ける人に」して、個々の細部を庵野監督が好き勝手思う存分につくりこむ、というスタイルのほうがよかったのではないかしら。

 台本の画像が流れてきて、その中での尾頭のせりふで頭をかかえています。「陽子数が少ない物質を取り入れ」「細胞膜を通し細胞内の元素を必要な分子に変換」って、それ、どんな細胞でもあたりまえにやっていることですよ。(これまた中等教育の範疇です)さらに「陽子数が少ない」と言っているのだからその後に続く「その崩壊熱を利用した」も意味不明です。
 こうなると、
・「元素 原子」と「分子」の区別がついていない (たぶん元素転換みたいなことをいいたかったのだろうな、とは思います)。
・「崩壊熱」の仕組みと意味もわかっていない。 (なんかすごい熱が出る仕組みとして原発騒動でニュースなんかに出た単語を遣ってみた、感じ?)これ、核分裂核融合も混同してそうな気がする。
 まあ、このこと自体は監督が「原発問題、核の問題を描くことを目的としていなかった」証拠なのでしょう。つまり「興味がないところなので、重視せず、大して調べもしなかった」ということです。
 これ、台本手に入れて読んだら他にも強烈な突っ込みどころが満載な予感がするなあ…

 さらに、「ゴジラ解体全書」での樋口監督へのインタビューで、ゴジラのデザインには「実在する生物の質感は、マッピングしたくなかった」こと、「生物として整合性がなくていいからゴジラを恐ろしいものにしたかった」ことが語られています。見た人が「本能的な恐怖」を覚えるように「膨張した細胞」や「がん細胞」のイメージをのせた、と。そしてそれは「ホラーの怖さ」ではない、「人間の存在が小さく見えるくらい圧倒的な力を、自然に出している超然とした存在」なのである、と。しかし、個人的には「膨張した細胞が怖い」というセンスがどこからきたのかに強い興味を覚えます。それ、普通だと単に死にかけた細胞でしかないし、中学1年でやる生物の浸透圧の問題が苦手だったとかそんなことでしょうか。どこが怖いのか、あるいはどうしてそれを「観客は怖がるはずだ」と思っちゃったのか。「がんが怖い」というのは現代人の感覚としてありえるかな、とは思います(現実の治療実態を考えるとこれを公言すること自体にはかなり問題あり、ですが)けれど、だからといって「本能的な恐怖の対象」が「がん細胞」だ、というのも意味がわからない。病理学の試験を明日に控え、留年のかかった学生さん、かしら。たぶん、普通の人ががん細胞を見たところで言われなきゃわからないし、たぶん言われても「?」でしょう。そして、言うまでもなく「出来上がったゴジラ」には膨張であれがんであれ「細胞」のイメージはありません(それとも、あれが監督にとっての「細胞」なのでしょうか?)。やはり、こっちの領域についてはなにも調べたりしないで生活の中の雑なイメージをそのまま投影しただけ、みたいです。あるいはこのインタビューそのものがいいかげんな思いつきで構成されていたか、ですね。端的に言ってしまえば発表される表現に対する誠実さに欠ける。まあ、樋口監督はそれは「庵野総監督のパーソナルな恐怖」だから、という逃げ道をちょろりと用意してはいる(翻訳すれば「俺の責任じゃない」と言っている)のですが。
 で、実際にゴジラの皮膚感の素材としてゴーヤを用いてマッピングした(もちろんゴーヤは「実在する生物」です)竹谷氏と、それを見てO.K.だした樋口監督、というのは自然発生的なコントのようにも見えます。確かに「整合性」はないよな。そもそも、インタビューの内容そのものがただの「整合性のないコメント」にすぎないのでは、という感じです。
 まあ、「生物としての整合性」をはなから放棄している、ということはわかりました。だとすると尾頭の台詞の数々はのきなみギャグだったのかもしれないなあ…

 シン・ゴジラ、生物分野や医学分野では基礎的な知識が身についているかどうかを確認するためのツッコミ用リトマス紙としては使えるかもしれません。科学リテラシー、科学コミュニケーション、疑似科学をテーマとする講義の素材のひとつにいかがでしょうか。

 一点だけ、庵野監督、組む相手が樋口監督だったから作品全体もこんなことになってしまったのではないかしら、という印象あり。ちゃんと映画として作れる、シンパではないまじめな人と組むべきでした。


(追記の2)「低評価の人は本当にこの映画を見たのだろうか」という文言を見て思ったこと。「これを見た、という体験が実は夢とか幻で、本当は自分は見てなどいなかったのだ」となればどんなにか幸せだろう、と思いますです、はい。見さえしなければこんな気持ちにもならなかったわけだからなあ…

 そういえば「ゲノムサイズではなく遺伝子数が人類の8倍だと受け止めれば」みたいな発言を見たけれど、残念ながら「遺伝子数」におきかえたところでヒトってそんなに多いわけではないしそれで「進化」の説明がつくわけでもありません。おべんきょうしましょう。
 あと、ネタ的に「血液凝固剤」を口からちうちういれても効果がある、というシチュエーション、嚥下に無関係に強い力で押し込めること、と、内部がもう傷だらけでそこから凝固剤が血流にはいれること。だとすると、かわいそうなゴジラさんはストレスで胃(?)がボロボロだったのかも。プラックな職場から逃げてきたのかもしれません。

(追記その3)庵野監督の言う「頭の悪い奴が足をひっばる展開」についてですが、作劇上「作品にでてはいない」というのはそうなのかもしれません。(逃げていない民間人とか核に執着する政治家とか御用学者の意味を知らない首相とかはボーダーですが)この作品の「足を引っ張った」のは製作陣だしなあ、というのが率直な感想。