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宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち/第三章 純愛篇(福井の悪い手癖が)

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 えーと、まあ、覚悟を決めていったので思ったほど悪くはなかった(というかそれなりには楽しめた)というところでしょうか。旧作準拠シーンの再現度は高いし、ある程度は見せ場もあります。問題は、地上波放送用の組み立てなので、小さい見せ場が25分単位で繰り返される、という劇場に不向きなながれであること。あ、いや、もっと大きい問題がありますけどね。2199からの「おさらい」が長々と流れたりするのは、もうご愛嬌、でしょうか。

 なによりも大きな問題は「物語として新規性を持つ部分がことごとく粗雑で陳腐」につきます。2199では監督のミリタリーフェチと科学背景好きが機能していたけれど、今回はどちらも皆無。SF考証に至っては「とりあえず真田になんかしゃべらせておけばどうせ聞き手はそれっぽく勝手に解釈する」という無茶苦茶っぷりです。全く。庵野ゴジラの悪いところをこんなところで見るはめになろうとは。そして、メインライターの「やらかし」はもっと酷くて、「とりあえず物量で大規模な絵をながしとけば迫力あるでしょ」という安易さ。バカじゃないの? これ、メインの福井氏自身のSFやサイエンスに対する知識と思い入れの希薄さに起因しているように見えます。しかも、希薄なことを自覚した上で克服しようとするのではなく、こけおどしで場をごまかせるだろう、と考えている気配もする。ほんと、そういうところって庵野ゴジラの悪いところそのまんま。いやほんとマジで嘘でもいいから風呂敷広げてくださいよ、まがりなりにも小説家さんなんでしょ?と…

 それでも、かろうじて楽しめたのは監督のバランス感覚と、脚本に関わった岡監督の技量でしょう。これ、岡さんいなかったら復活編よりも悲惨な代物になりさがっていた気配がぷんぶんします。ズォーダーが「愛」を連呼するのは、いにしえのヤマトの「宇宙愛」の再現のつもりなのだろうけれど、今回の大帝の小者っぷりからはスケールの大きな愛にたどりつくことはなさそうです。まだ「宇宙受」(大野安之とり・みきだったっけか?)に展開させるほうがいいんでないの?

 「あの人」がさらば準拠で戻ってくるので森雪はまた死にそうです。というか、山ちゃんと神谷で親子対決になるんですかね、これ。どこのウルトラマンジード?というのはおいとくとして、たぶん、さらばとヤマト2の結末を両立させるために「二人」だした、のでしょうけど、ねえ。

 第4章は、勘弁してほしい巨大ロボをポスタービジュアルに迎えて来年一月。今回、ひとつだけよかったのは1/1000の2202ヤマトが劇場公開にあわせて発売されたこと、でしょうか。アンドロメダと違って「光るだけ」なのが残念ですが(音とあわせて光らないと雰囲気がでません)、船体のラインを含めて、随分改良されている感じです。メカコレのゆうなぎはひさびさの「箱付き」だし。ただ、本編で活躍したメカが実質100式とこうのとりのみなので、このあたりのメカコレもだしてもらえないかしら。 

 それにしても古代のうじうじとしたにえきらなさにはtri冒頭の太一の姿が重なります。なに?最近のクリエイターの間で流行ってるんですか、ああいうの?
 結局、個人的には福井氏には、はずれてもらって、羽原・岡で共同脚本共同監督、というスタイルで作って欲しかったなあ、と。

 福井氏については、ヤマト新聞で「さらばラストの古代はストレスで幻覚を見るほど壊れてしまっていた」という珍解釈を開陳していましたので、たぶん「そういう路線」で今後も続くんでしょうねえ。やれやれ…