Anything Goes (again) ...

Yahooブログから移りました

ヤマト2202 第七章(ポリアンナ泣かせ)

 何一つ期待せずに赴いたはずなのに、さらにつらまない思いをしながら劇場を出る、というのはすでに様式美といってもいいでしょう。冒頭の長大なモノローグの時点ですでに「ラストまでたぶんこの調子だ」という諦観に見舞われます。これは、最初のTVシリーズから復活編までをたどってきたヤマトファンの歴史を「たった二作で完璧に再現」した、という金字塔の証でもあります。
 例によって、ガトランティスは身内でわちゃわちゃやってるだけで何の矜持も覚悟もありません。戦艦が「産まれる」シーンとか雑誌だけでなくマジでスクリーンに写す度胸は認めますが、それはただの製作陣の蛮勇でしょう。展開は陳腐だしご都合主義。何章か前に、「なんだ既存の作品のパッチワークかぁ」とがっかりしたりも良い思い出。あの時の自分に「底はまだ先」と教えてあげたい。
 第七章で「明らかになる」ことといえば、キーマンの存在意義くらいです。それも、福井氏が方々で言い訳こいているように「さらばの感動」「メインキャラは死なない」という「上からの」方針に便利声優神谷が消費された、というだけのことです。さらばで死んでいく人たちのポジジョンやデスラーとの対峙の構図など、作劇の都合を全てキーマン一人に負わせました。そこに透けて見える事実はもう一つあって、ようするに製作陣にとっての「さらばの感動」イコール単に「キャラが死ぬこと」でしかなかった、ということ。
 そこから逆算してつくられたのがキーマンなのだから、なんというか、えげつないことをするなあ、と。それで作品がわずかでも面白くなっていればまだ救われたのですがねえ。
 ガンダムニュータイプみたいに「波動エンジン」さえあればなんでもありになる世界観でした。真田さんがまったく科学と無関係になんだか謎の決めつけをさけぶだけの人、という描写も2202を通して一本通っていた「設定」でした。

 薮くんがちゃんとがんばっていたこと、くらいですかね、全編通してよかったのって。