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ヤマト2202 第六章(…)

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 まあ、どうして見に行くのか、と問われれば昭和の亡霊だから、とでも答えるしかないわけで。

 前日に、別の映画を見た帰りに第六章見終えた人たちの行列を目撃しました。2199の時なら、みんな口々に感想や考察を戦わせながら上気してでてたきていたものですが、しんみりとしたお葬式みたいな沈黙の行列。手に持たれたXebecの封筒が唯一、ヤマトを見てきたことを物語ります。
 翌日、自分もその葬列に混ざって歩いていました。

 とりあえず、全体にわたってつくりが雑で陳腐です。少しでも複雑な部分は長時間のナレーションをぶつけてなかったことにします。「G計画」とかいっても昭和の下品なおっさんの思いつきそうな代物で「生殖細胞いろいろつんで箱舟にした銀河だけど、子宮は必要だから乗員は全員若い女性」とかいうの、ヒト以外の生物はどうするんですかね。と、いうかフェミ社会学のセンセーたちはキズナアイなんかで炎上している場合じゃないでしょ、と。

 宇宙船の端末画面の下一行をスクロールで流れていく「現状報告」とか、EOSのファインダー以上になさけないデザインでもう笑うしかありません。戦闘をみている全人類がガトランティス弾幕コメントぶつけてサーバーダウンさせて勝利、とかやっても驚きません(実際にはもっとつまらない結末だろうと思います)。

 予告ビジュアルの赤茶けたヤマト。単に土に埋まっていただけでした。なんであんなに赤茶けていたかというと、テレビ第一話でのヤマト発進シーンをパクりたかったから、というだけの理由でした。アンドロメダにいたっては蚊トンボのように大量にでてきて大量に沈みます。動きもやたらと軽々しく、みていて悲しくなる。あげくのはてに、ラストシーンはまたしてもデスラーひき。毎回毎回よくも飽きずにつくれるものです(見ているこちらはもう飽きました)。

 どこにもわくわくしなかったし、なににも興奮しませんでした。うん、昭和のヤマトもシリーズがすすむほどこんな感じになっていったよね、と。

 パンフレット冒頭の 恒例ネタバレエッセイも、日本語がおかしいし(小説家さん、でしたよね?)、2202はもう諦観にいたる一種の哲学になりつつあります。