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アイムノットシリアルキラー(灌流固定で倒せ)

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 えーとですね、松竹さんの企画第二弾で、ジェーンドウの解剖に続いたものです。同様に死体処理の現場が舞台、といえなくなもない、のかな。予告では「ソシオパス」の少年対隣人の「シリアルキラー」の戦い、ということだったのだけれどこのあたりは完全に名前負け。まず主人公の少年がソシオパスだ、というのも学校でもてあまされてセラビストつけられた、というだけのはなしで、「動物をころしちゃった」とかいう過去もセリフ以外ではまったく関係してきません。殺した動物を使ってなにか部屋の中に細工物とかおいてあればまだしも、部屋は純粋に医学の勉強道具ばかり。まじめちゃんです(笑)。体育会系っぽい外見のいじめっ子に嫌がらせを受けて机の下でフォークをにぎりしめた、あたりがほぼ唯一の暴力衝動の表現で、ただの繊細な思春期の男の子。とりあえず、画面からは全く「ソシオパス」の片鱗が伝わりません。
 対するシリアルキラー。ひょんなことから隣人の老人が犯人であることを主人公が目撃するわけですが、こちらも「社会に溶け込んだシリアルキラー」という姿からは程遠いものです。ラストの(ある意味)衝撃的な展開に続く伏線は冒頭から散りばめられており、映画の途中で「ん?こいつはもしかして」と思い始めるわけですが、それでもシリアルキラーという存在のイメージとはかけはなれたものにしかなりません。いやあ、ジョジョ4部の吉良はよくできていたのだなあ、と。
 あげくのはてに主人公をいじめるいじめっ子にしても、メンタルがあまりにも弱すぎて情けないし、セラビストとママはどうなのよ、とか、まあ大量に消化不良だし、なのですが、本作の一番だめな点は結局「ソシオパスもシリアルキラーも関係ない」という物語性の失敗にあります。これたぶん、「そういうアイデア」をおもいついていけると思った(自分も予告編でこのアイデアに触れて作品を見たくなりました)のはいいけれど、いざ作品にしようとしたときにソシオパスもシリアルキラーもちゃんとした描写で描く力量と知識がなかったのでしょう。正直にいって、少年はただの生き物好きの思春期だし、老人は単に「自分が生きるのに必要なこと・自分の生活を守るのに必要なこと」をやっていただけだし、なんの対決にもならないまま、エンバーミング屋の灌流装置ががんばりました。闇もなければ恐怖もありません。
 タイトル、最初はソシオバス扱いされている少年の言葉だと思っていたのだけれど、作品的には老人のセリフと考えた方が良いものです。つまり、タイトルの時点で作品世界は成立していなかった、のです。まあ、ポスターの惹句「狂気と狂気」も対決なんかしてませんしね。

 原作はシリーズ化されているというのだけれどどうするんだろう。原作はあと2冊でていて一応完結しているみたいで、こちらは主人公のソシオパス性質が二巻で展開されるようなので、今作は監督のフライング、なのかなあ。どっちかというとスティーブン・キングみたいな方向をめざしているのかもしれないけれど。とりあえず原作のほうが面白そうなので、金原さんあたりが3冊まとめて訳してくれるとうれしいんだけれどなあ。

 あと、松竹さんはあいかわらずパンフレットをつくりません。A全ペラ畳んだ奴程度でもいいからつくっていただけいないものでしょうかね、ほんとに。