Anything Goes (again) ...

Yahooブログから移りました

淘汰されていく…

イメージ 1

「よいおもちゃ屋」というイメージがある。
もちろん、それは僕が自分の体験から勝手につくりあげたイメージだけれど、そのイメージに合致したおもちゃ屋をみかけたときに、その店がいわゆる「はずれ」だったことがない、というものだ。
たとえば、
・店頭にはところせましと子供用のおもちゃが並べられ、犬や猿やその他の電動動物がしゃんしゃんと自己主張している。
・間口は狭く中は広く通路は狭く。
・店の奥にはいつのかわからないほど古いおもちゃやプラモが定価で並んでいる。
こんな感じ。いわゆる、商店街のおもちゃ屋といった感じだろうか。

これが、絶滅の危機に瀕している。

二年ほど前に横浜の地下街にあったよい店が沖縄グッズ屋にかわってしまった(入手しそこねたガンプラとかをここで買っていた)。

数ヶ月前、関内に残されていたよい店がなくなってしまった(マイティ号特大を買った少し後だった)。

先週、札幌にいっている間に横浜のもうひとつの地下街にあったよい店がなくなっていた。ここではデジモン関連の買い物をしていたし、今度よったときに超進化ベルゼブモンかわなきゃ、と楽しみにしていた矢先。ネクサスのときは「買っとかないとなくなるかもよ。番組も予定よりはやく終わるらしいし」と、ずいぶん早い時期にアドバイスしてくれた店だった。

もちろん、小樽にあったよい店なんか何年も前になくなってしまっている。

そりゃ、すぐ近くにヨドバシができてしまったから大変だったと思う。閉店時間が二時間も違うと、いきおい日常的にはヨドバシにいかざるをえない。でも、ヨドバシは清潔すぎて、新しすぎてあの「おもちゃに囲まれている」感じがしない。

お店も商売だから、これではやっていけないというのはわかる。自分だって、ヨドバシに行く回数が増えているんだから、わかる。でも、無責任な客の立場でわがままいうならば、あの雰囲気の店は残っていてほしかった。

町をそぞろあるく楽しみがこうやって減っていく。
おもちゃ屋も、本屋も、カメラ屋も、急激に減少している。
それは、それぞれの扱う商品が文化的価値を認められなくなり、単なるコンビニ的消費財という視線でしか見られなくなってきたからだろう。本なんて、雑誌ばかりになり、その雑誌すらも「ただの雑誌」におされはじめるというていたらくだ。

「もったいない」のせいだといったら言い過ぎだろうか。日本人は、文化にお金を払わなくなりつつある。映画も、CDも、DVDも、借りればいいやってことでかわない人間が増えている。
小学生が図書館からたくさん本を借りるのはいいことだけど、立派なかっこしたサラリーマンのおじさんが文庫本(それも最近の流行本)まで図書館で借りてすましているくらいだ。

日本人は何にならお金をだすんだろう。流行に遅れそうだという強迫観念?
自分は不健康かもしれないという「あるある症候群」?

なんかはなしがずれた(笑)

余裕なんてたしかに言ってしまえば「もったいない」けれどさ、
てか、そもそも「もったいないからこそ」それは余裕なのであって…

でも、余裕のない生活って、そんなにステキですか?