Anything Goes (again) ...

Yahooブログから移りました

やっとリリスモン

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あと、五枚にたどりつきました。とはいえ残りはさすがにゴッドとキングばかりだ…
自販機のキング、ゴッド止めをあてにするしかないですかね…

とかいいながら、ベルゼブモンなんかもう三枚目だし、オメガモンすら二枚あるし、ゴッドドラモンだって何枚目かだし、だぶるものはだぶるのが気に入らない。

どこかでうまいトレードはできないものか…
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とりあえず、あまりの興奮で1エントリたててしまったけれど、クロスウォーズの前半終了回はすごかった。
デジメモリの起源もさらりとながしちゃうくらい。
とりあえず、「進化」ですがな。
たしかに、ストーリー的にはデジクロスばっかりしていただけで「進化の存在の否定」は誰もしてないんだよね。今回は、ドーキンスばりに「進化の存在証明」というやつでした。
たくちゃん、あはれだ…
らすボスはネネ弟? それともさらに糸をひくやつがいる?
三条脚本だということを考えると、従来の鬱テーマを踏襲しないわけがない、とも思える。

見え隠れしているキーワードは「兄弟」だよね。
そして、タイキだけそのくくりから自由だから独自の立ち位置になってる。
とりあえず気になるのはバグラモンとネネ弟の関係だけれどねえ。
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iPad版で使うときに忘れてはならない「テーマのイメージを書類にコピー」。
これ、気がつかなくて昨日ずいぶん悩んでしまった…
iPad側で読み込んだときのエラー画面に一言触れていてくれてもいいのに、とか恨み節。
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明日から三日間、大阪出張。懐かしい場所に顔をだす余裕があるかどうか…
最終日に新長田に立ち寄って鉄人見てくるのは無理してでもやりとげますが。
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図書新聞でタイトルをみて買ってみた「当事者をめぐる社会学」読了。
うーん、なんというか残念な一冊。テーマ自体は非常におもしろいのに、執筆陣のテーマに対する
思い入れがきつすぎて詩的ではあるけれど、そして、現場でのある種のじれったさのようなものは
ひしひしと伝わってくるけれど、論考としては未熟だったり(いまだにポパー的な科学の定義とかもちだされても…)、なんというか、お手盛り感がひどい。
「当事者」というのは社会学的には自他の区別の根幹とかかわる部分だからセンシティブなはなしだ、
というのはそうだけれど、だからといって好き勝手な主張をしていいわけではないし、「学」として
の成立を詠うのであればもっと緻密なアプローチが必要でしょ、と。
逆に、ひきあいに出された吉岡の批判のほうがよみたくなった。

#吉岡先生もえらくなっちゃったんですよね。
#お手紙の返事いただいたのもずいぶん過去のことになってしまったなあ。

たとえば、生物学者が細胞や遺伝子について研究する場合にそこには「当事者問題」は基本的に
発生しない。

#発生するとすればそれは「倫理」がらみだ。

でも、生物学者自身もまた生物であり、細胞であり、遺伝子をもつ以上、本来ならば
究極的な「当事者問題」はそこに発生しているはず、である。でも、それを問題として俎上にあげる
のは生物学の仕事ではないよね、という感じで、社会学だからといって対象とのロマンチックな(と見える)接近戦を「問題」として言い表す事には激しい違和感を覚える、ということ。

切り分けて、距離をおいて、そうして初めて把握できる「近さ」というものがある。
とくに、人の営みを対象とするのであればなおさら、その「距離」を掌握しておかないと
あやうくなるだけだ。
僕ミシン、君こうもり傘、では文字通りシュールな出会いにしかならないよ。
燃えたぎる衝動と冷酷冷徹なまなざし。このふたつを両手にもって適切に舞う事でしか切れない相手がある。なのに、どうして、衝動ばかりがいろいろなことの免罪符になってしまうのだろう。
こういうのを読むと、彼らは「本当は」対象に対してそれほどシンパシーを感じていないのだな、という印象しかもてないのだけれど。

と、いうわけで「残念な」一冊でした。
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