Anything Goes (again) ...

Yahooブログから移りました

312T4 (Exoto 1:18) (と、今日のdankogai)

イメージ 1

オークションでとうとう手に入れました。1/18ばかりならべると壮観です。
並べれば、さらにもっと並べたくなる、というのがアレです。
どこかCK、出さないかなあ。


・さて、今日のdankogaiのコーナーです。 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51419616.html あたりね。

まず、しょっばなからオヤクソク。

>この問題、まるではしかのごとく何度も何度も登場するので

 えーと、「はしかのように」というのは「流行する」のであって「何度も何度も」ではありませんがなにか。

#あるいは「一過性でお熱」とかね。

てか、弾さん、はしかになったことがない、 or はしかについての知「識」がない、のでしょうね、例によって。
いや、弾語の流れから察するに、弾さんには「免疫系が機能しない体質」なのかもしれません。それなら「何度も何度も」はしかやってもおかしくないし。

まあこんなのは無知に由来するただのギャグです。どうだろうか。

重要というかすさまじいのはこっち。

>山本氏は慎重にも

という奴。「相関関係があるからといって因果関係があるとは断言できない。相関関係はあっても因果関係のない事例はいくらでもある。」というくだりに対する小飼氏の感覚なのだけれど、これ、山本氏の名誉のために訂正しなくっちゃです。

山本氏はけっして「慎重」なのではなく、ただ単に「論理的なだけ」なんです。
相関関係と因果関係の間に横たわるものは、慎重さや踏み込みで超えられる質のものではありません。もちろん、「踏み込み」によってそれを超える思考スタイルは存在しますが、それは擬似科学に特有のものです。

#まあ、「速読」したのでしょうけれど、このヒト、キッチュや山本氏の著書の一体どこをどう読んだのやら(強い婉曲表現)。

小飼氏の発言はさらに暴走して

>私はもう因果関係まで踏み込んでもいいと考えている。議論の精緻さは損なわれるが、損なわれたとしても
>「非存在青少年保護主義者」たちの「たぶんそうだろう」に比べたらものの数ではないし、
>実際因果関係を示唆する「証言」であればすでにいくつもあるのだから。

と続きます。もちろん、これはいろいろな意味で間違い。そもそも因果関係に「踏み込む」ことで失われるのは「精緻さ」なんかではなく「論理そのもの」です。「踏み込む」ということは、言動思考のラインは変更せずそのまま、より深いところに、あるいはより難しい領域に進むことをいいます。つまり、今回の場合「踏み込む」行為は山本氏の前言を非論理的な言辞に堕落させる。それがわからないというのは知的良心の持ち合わせがないとしか思えません。アメリカの大学ではこういうことは学ばないのですね、とかいいたくなってしまいます。

「非存在青少年保護主義者」たち、との「比較論」で思考するという行為は、そのまま「非存在青少年保護主義者」たちのお庭の中なのだということにもなぜ気がつかないのでしょう。

さらに、論理的に考えれば明々白々なことがもうひとつあります。それは、小飼氏のこの思考パターンがそのまま「擬似科学」のそれである、ということです。実は、このくだり、「小飼弾」という存在(または「仕組み」)を理解する上で非常に重要な文言であるのかもしれませんね。

はからずも「crimeとsin」というキザな言い回しで戦場ヶ原のあの名台詞とかぶったのは奇跡的なギャグといえましょうか。
ほんと、弾さんは両方お持ちでご同慶のいたりでございます。