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「9」 黙示録の世界

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 川崎で初日、翌日新宿にて二回目。
 新宿は、オリジナルのショートムービーを予告編のかわりに流しますが、これ、初見の人にとっては完璧なネタバレ以外のなにものでもありません。えーと、「映画として鑑賞する人」よりも、「映像作品的な見方をするヒト」が優先されたの? YouTubeよりも大画面でみられたのはいいけれどさ。劇場入り口にあるシェーン・アッカー監督のサインが妙に達者でした。

 まず、いくつか説明が微妙に不足して歯がゆく感じたところから。一つは、舞台が大戦のために「全ての生命が滅んだ死の世界」(おそらく腐敗をもたらすバクテリアすらもいない世界)だということ。普通の廃虚のように見えるけれど、回想シーンでみるみる植物が枯れ果てていったように、動物も植物も、あらゆるかたちの「生物」はすべて絶滅していると考えられる。人々の死体がただひからびているだけのようなのもこのため。その世界で動いているものは人がつくった機械だけ、ということと、1が待っていたように、その機械も徐々に「眠り」始めているということ(つまり、大戦後、相応の時間経過があったらしい)。
 人形達は9体いるけれど、9はたぶん別格扱い(科学者からのメッセージを受け取り、マシンに対する決着をゆだねられている)。1から8は完成した後に科学者が自ら装置から取り外しているはずで、彼らはタリスマンを見てはいたかもしれないけれどそれに触れることはなかった。マシンに対峙するためのタリスマンは必然的に「最後の人形」に託される(=その時科学者は死んでいる or 魂を全て失っている)、ので、9はスペシャルである。

#6だけは、記憶がきちんと残っていたのかもしれない。誕生前の子宮の記憶、みたいな感じか。

 さらに3と4は双子としてひとまとまりで捉えると、人形は実は「7」体。黙示録を引き合いに出すまでもなく、世界の破滅と再生は「7」をキーナンバーとして進むもの。全体にキリスト教の世界観が色濃いということ。

 さて。

 まず、「ティム・バートンだから」という見方はやめたほうがよいです。「アリス」で端的に示されたように、ティム・バートンはダークな作品も奇妙な映像も作りません。今回はプロデューサーとしてだけの参加なので、逆に彼がかかわったにもかかわらず良い絵作りになっているという印象。(実際、ティム・バートンがかかわっている、という点だけが映画館に向かう際の気がかり、というか不安要素でした)よくコメント等でみかける「ダークさが足りない」という評価は、もしかするとティム・バートンが関わらなければもう少し違ったことになっていたかも、とは思いますが。
 人形達は個性的でかわいい。背景となる廃虚や小物も細部まできっちりと情報がつめこまれていて丁寧。ただ、細かい伏線が大量に埋めてあるためにストーリー展開が安易によめてしまうのは背景書き込みのデメリットですね。たとえば、冒頭で機銃の弾をさわった9が2に怒られるシーンはそのままラストで9が「弾薬庫に逃げ込み、マシンに火をかけられる」ところにつながっている、とか。でも、こういうのってたぶんわかりにくい。凝りすぎたせいで、わかるとあっけないネタバレ、わからないとさっぱり、というバランスの悪さが随所に見られます。本当はそういうところのバランスを整えるというのこそがプロデューサーの手腕なのでは?とか思いますけどねぇ。

 基本的にはマシンを開発してしまった科学者が自分のやったことに「けり」をつける物語、ただ、それが世界の滅亡と再生に関与していたということ。マシンの攻撃が地球上の「あらゆる生命」を滅ぼしたのだとすれば、その世界はT4よりもウォーリーよりもさらに絶望的です。その世界で1が、なぜ自分たちが人間の尻拭いを、とつぶやくけれど、彼等の魂は人間のもの、しかもマシンを開発した当人のものなのだから、原罪として、人形達という存在自体に「尻拭い」は組み込まれている、わけです。これは、「意識」としては科学者と人形は別の存在なのだけれど、魂において一つ。ここが少しわかり難いのかも。彼らは単に「やらなければやらないこと」をやったのです。

 うーん。そのあたりのことを考えると字幕に難あり、かもしれません。「仲間を助ける」という字幕が出るけれど、たぶんニュアンスが違う。「助ける」とは復活させる。のではなく、その魂を囚われの身から解放すること。ラストの台詞も「この世界を守っていく」のではなく、「この世界は我々のもの」です。もちろん、その世界に新生する生命、とりあえずは単細胞生物のようなかたちで雨とともに地上にもたらされる「恵み」はみな彼らの魂によってもたらされたもの、つまり、科学者の魂なのだから、その世界は文字通り「彼のもの」なのです。この辺はキリスト教の世界に生きていれば多分何の違和感もないのでしょう。「彼らは自由になった」のではなく、「あなたが彼らを自由にした」と7は言っています。原罪をおったもの(マシンをよみがえらせた9として、あるいはマシンを開発したソース、科学者として)が自らの手で自らを自由にする。救済者のための救済がここでは行われています。

 これは、一つの世界の破壊と再生の物語であり、おそらくはいつまでも繰り返される物語なのです。

 個人的には、この監督の作品としてディックの「怒りの日」あたりを映画化してくれたら見たい、かな。もちろん、ティム・バートン抜きで。