・と、いうわけで2月以来の講習会を目指します。
・みんなで歌詞をつくってみよう、というのは「まにあっく」というよりも違う意味でハードル高そうだけど大丈夫かいな?
・まあ、この講習会のレギュラー化宣言もあったので、次はまた来年のはじめあたり、なのか?
・その前にライブライブライブ。ちゃんとライブやってくれますように。
・なんかたくらんでいる、と言っていたので期待感大、ですが。
・
・RG、パーツ細かいです。たしかにこれは目が弱っている人にはつらそうだ。シールはるとことか。
ただ、つくっているときのこの「パーツが減らない感じ」は初期のPGみたいで幸せっぽい。
・こんだけ動くのであればやっぱMFだしてほしいけどなあ。スケールは変則でいいから。
・
・ホメオパシー関連。やばい、というか、嘘っぱちなキーワード。
「ホメオパシー」「Oリングテスト」とかね。
・まず間違いなく嘘っぱちなキーワード。
「自然食品」「自然治癒力」「ホーリスティック」「代替医療」「マクロビオティック」
・思考停止しているとこういうのにひっかかるのかもしれない。脳みそ使いましょうよみなさん、と。
・最近思うこと。マクロビオティックとか代替医療に手をださなければ清志郎さんはまだ歌えたんではないのか…と。
・この手のものは個人が勝手に信じている分にはかまわない、というか、言論思想の自由が認められている以上それは仕方がないことだけれど、治療だの思想だの宗教だの隣人への押しつけだのになるとただの迷惑行為です。特に医療従事者が掲げたりするのは白衣の持つパターナリズムな圧力もあいまって極めて悪質。
・そういう視点でネット上のいろいろな「医院」のサイトを眺めると発見がたくさんあります、もとい、げんなりします。この国にはちゃんとした医療はないのか、呪術とまじないの国なのか、という気分になってくる。
・気をつけましょうね、ではなく、「ちゃんと考えましょうね」ということですね。
・たとえば、某所で見かけた発言。
---ここから---
先日、ホメオパシーによる医療トラブルが発生したという朝日新聞の記事を見ました。
コチラです☞http://www.asahi.com/health/news/TKY201008040482.html
まとめますと、
ビタミンK2を投与しなければ命の危険性があるにも関わらず、それを飲ませないで代わりに
ホメオパシーのレメディを助産師が新生児に与えていたとのこと。最終的には新生児が死亡
してしまったようです。
これは、ステロイド剤の使用におけるリスクと同様のことが言えますが、良い薬も使い方を間違えれば
命の危険にさらされることになるという教訓だと思います。
ホメオパシー自体が悪いのではなく、使い方に問題があったようです。
---ここまで---
原文ではご丁寧に「良い薬も」のくだりは赤字!!
いや、違うでしょこれ。「良い薬」というのはどう考えても必須であったビタミン剤であって、
「良い薬」を与えもせずに、「まったく効くはずのないものを代わりに与えた」結果、案の定やっばり死んじゃったよ、という話です。いいかえれば西洋医学の診断は正しかったんだね、という追認を行った事例です。幼い赤子の命を代償に。
確かにこの場合「良い薬の使い方」を間違えました。その良い薬をあえて「与えなかった」のだから。
かわりに「効くはずのないもの(レメディ)」でごまかして殺したのだから。
「ステロイド剤の使用におけるリスクと同様のことが言えますが」というのもすさまじいですね。
レメディの「副作用」で死んだとでも? そもそもレメディに「副作用を起こす程の効果がある」とでも?
レメディとステロイドを並列してあたかも「効果が強いので注意して使わなくてはならない」
「使い方に問題があってはいけない」に誘導しようとするこの立論は、もし分かって書いているのであれば不誠実極まりないですし、わかっていないのであれば、ぜひ、人や動物の命にかかわる職業にだけはおつきにならないでいただきたい、と、地球上のあらゆる生命のために祈らせていただきます。
「ビタミンK2を投与しなければ命の危険性があるにも関わらず、それを飲ませないで」とまで理解していて、にもかかわらず「ホメオパシー自体が悪いのではなく、使い方に問題があった」…
ならば「ホメオパシーのために命の危険性があるにもかかわらずあえてビタミンK2を飲ませなかった」という事実はどこにいってしまったのですか?
ここから「ホメオパシー自体が悪いのではなく、使い方に問題があった」という結論が導かれるという現実に背筋が寒くなります。今年みたいな暑い夏にはふさわしい? いやいや、「善意」によって失われる命は今後も減らないのだろうな、という季節を超えた諦観です。「西洋医学はよくない」から「赤ちゃんには自然な代替治療をしてあげましょうね」と、ビタミン剤をやめて砂糖玉を与えたという発想の…その結果がこれですから。
この事件だって、レメディをあたえる分には問題はないわけです。甘いから赤子もよろこぶかな、程度で。ただ、ビタミン剤を「与えなかった」ことが問題。どうしてせめて「両方」与えなかったのでしょうか。
少なくともビタミン剤がないと死ぬであろうことは分かっていた状況で、あえて「与えない」という選択肢を選ばせる思考誘導がホメオパシーの「善意」のスタイルには存在する、ということです。これを恐怖といわずして何を恐怖と呼べばよいのか。
今回の事件では命を失ったのが新生児であった、という部分にたちの悪さがあります。大人であれば、「自覚的に西洋医学を断ってレメディにたより、そして、自己責任で死ぬ」という「治療」はあり得るかもしれません。医療倫理的にどうか、ということはおいておいて、イギリスで代替医療という選択肢が残されているのは「そういう判断もまた個人の権利」として留保されているからです。
相手が赤ん坊の時はそうはいかない。大人が「勝手に判断」するしかないので、そこでの責任というものがでてくる。
ここで、赤子の命をうばったものは「無知」と「善意」だと思います。
だから、「考え」ないといけない。正しく疑わないといけない。でないと、まだまだ命は失われるでしょう。
どちらかというと、ステロイド製剤よりも、「宗教上の理由で輸血を拒否」等に近い事件なのですがねえ…