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「風立ちぬ」 (あるダメ男の一生、的な)

 予告編にて下品な四分間テロの攻撃を幾度となく受けて、パースが歪みながら走る機関車や「真上に飛び上がるへんな飛行機」といった悪印象を払拭できるかどうか、という感覚で劇場へ。ていうか、これで映画の出来がよかったらジブリイメージの戦犯はプロデューサーだということが確認できるわけだけど。

 で、とりあえず結論からいえば「悪くない」。でも、「すばらしい映画」とまで持ち上げるのはなんか違う、です。そもそも、自分で「異色の作品である」とか言っちゃうカントクはどうなんだろうか…
 大体、だれですか、庵野監督の喋りは途中で気にならなくなるとか言ったヒト。気にならないどころか最後まで、あまりにも場を読まない下手くそさに映像の感動が三割減という。そして、逆に野村萬斎のうまさとすごさ。それならば次のエヴァは萬斎に監督してもらえばいいのでは?(むり)
 風景と機械のうつくしさ、開発者の心意気。いつもの宮崎モーション、豚やドーラさん。うん、そういう意味ではひさしぶりにこれは「あり」な宮崎アニメ、ではあります。
 時代背景と技術史がわかればとりあえず通り一遍の感動はできます。昭和を懐かしむ人の映画。でも、見た目は綺麗だけどあの町、本当は臭いんだよね。あと、アニメのデッサン狂いがあまりにも酷い。手書きですよアピール?昔のヤマトがグニャグニャしてたのを思い出します。食事シーンも手抜き。あれをどう見ればクレソンに見えるんだ?原画の人もアニメーターもクレソン食べた事無いのかも。

 とはいえ、なんだかんだいっても、タミヤのゼロを買おうかと思う位には印象に残る作品でした。レビューで褒めてんのも貶してんものどっちもまとはずれだなあ、という。単に監督がやりたい放題なだけ。三菱のスタッフや上司がいい人(笑)なので、あの主役の声と喋りのあまりの下手くささを克服さえできれば(これが難問すぎる…)、美しい昭和初期の日本の風景とメカ開発の現場を堪能できます。牛かわえー。そういう意味では見る人間のリテラシーをためしてるなあ。
 あと、みんな煙草吸いすぎ(笑)。てか、時代背景からはこの喫煙率は正しいのでそれはいいのだけれど「純愛のシーン」で結核患者のすぐそばでぷかぷかふかすのはいただけません。病院に奥さんを戻しもせずにこれでは「早く死ね」と言っているようなもので。

 それから脚本がベタすぎて臭いのです。台詞回しが昭和初期文学なのはそういうものと思っていれば違和感はなし。でも、それは同時に描かれているモノが監督にとっても実は原風景ではなく、ある種のフィクション、現代へのアンチテーゼであるようにも見える。「そういう世界への監督の個人的な憧れ」というべきか。

 不器用で、家庭や家族を一切顧みないダメ男の一生を描いた作品、です。その癖、会社の上司の態度とかは御都合主義。まあ、「モノヅクリ」に関わる人だとそこも含めて感動しちゃうのですかねえ…。監督が試写で泣いたのは当然なのだな、と思います。だって、「自分が見たいもの」をつくったのだから。脚本がベタなことも含めて、奥さんの結核を悪化させて死なせるところまでも含めて、たぶん「泣ける昭和のダンディズム」なのでしょう。「そういうオハナシ」をステキだと思える人にとってはたぶんこれはすばらしい映画、なのです。でもね。「生きろ」なんてメッセージ、映画のどこさがしてもでてきませんよ。とってつけたにもほどがある。「女性は美しい顔だけ見せて早く死ね」的なメッセージ(?)ならあった、かもしれない。

 宮崎監督の今回の「大発明」は、「堀辰雄を混ぜた」ことです。堀越次郎のご遺族がどんな印象を持つかどうかとかそんなこともたぶん考えていないのではないだろうか、とすら思えます。「ヒトラーだって捨てられた子犬を拾ったかもしれないじゃないか」という冗句の究極の形がここにある。とりあえず、「堀辰雄を混ぜて薄幸の美少女とのエピソードをつくれば泣いちゃう人が沢山いる」という大発明。ヒトラー堀辰雄を混ぜる、フセインと混ぜる、いろいろできそうだけど、ここはやはり「宮崎監督と堀辰雄をまぜて伝記映画をつくる」のはどうかしら、とか。

 そんなことを考えてしまうのは、映画館で配布された一枚の紙切れのせいです。大体、「映画を見てから開けてください」という封筒の中身がプロデューサーから一言とかなんなの?そこはさすがに監督じゃないの?しかし、「風立ちぬを見て、どういう内容だったのか教えてください。どう見てもらえたのか知りたいのです」て、鈴木プロデューサー、これマジで言ってます?観客を馬鹿にしているとしか思えないんですが…
(まあ、多くの観客はあの手のプロモーションでやすやすとひっかかったわけだから頭から馬鹿にしているんだろうなあ…)
 エッフェル塔的に言うならば、風立ちぬは、風立ちぬの四分間予告が流れない(前にも後にも)というだけでも見る価値がありますよ、とか言いたくなるわけです。